2021年6月号(オーナーとマネージャー)

《オーナーとマネージャー》
日本のホテルでは従業員を束ねる人を「支配人」と言います。欧米ではその立場の人を「ホテルマネージャー」と言います。なぜ、日本ではホテルマネージャーを支配人と呼ぶようになったかはわかりませんが、支配人をそのまま英語に訳してしまうとオーナーとなりますから、ホテルの財産を所有している人を指してしまうことになります。


ところで、宗教観において人間をどのような立場とするかで、さまざまな違いが見られます。キリスト教の世界では神がオーナーで人間がマネージャーです。多くの日本人の考えでは神と人間との境がないので人間がオーナー兼マネージャーです。
イスラム過激派の活動がニュースによく取り上げられた頃に、一神教はみんな過激な支配をするが多神教はそんなことはしないとコメントするような人が多かったように思います。マネージャーはオーナーの指示に忠実な存在ですから、一神教とひとくくりにしないで、オーナーの指示がいかなるものであるかで判断していただきたいと思います。


 1980年代後半から1990年代にかけて、日本ではカルトの問題が出てきました。ほとんどの場合、カルトには教祖と呼ばれる者がいるわけですが、人間が神の立場になり得る日本の社会のほうがカルトの危険があるといえるのではないでしょうか。


 キリスト教では、オーナーに相当する存在が三位一体(さんみいったい)の神であり、その神の具体的な指示の内容を記したものが聖書です。父なる神、子なる神(キリスト)、聖霊の三つの位が一つの神であるという理解が正統的なキリスト教会の特徴です。カトリック教会では教皇という立場がありますが、カトリック教会でもしっかりと三位一体の神を信じていますので、教皇を信仰の対象(オーナーの立場)としてはいません。


教会では毎週日曜日に礼拝というものがありますが、その中で牧師はしばらくのあいだ聖書からメッセージを語ります。はじめて教会に来られる方の多くは、礼拝の中で牧師の人生訓のようなものが語られると思うようです。要するに、何かを悟った者がその悟りの一部を紹介する時と理解されるだのと思います。しかし、プロテスタント教会の牧師もカトリック教会の神父さんもオーナーではなくマネージャーです。また信徒もマネージャーです。

日本人の多くの人がなんとなく持っている考え方なのかもしれませんが、神性というものが人間の中には宿っていて、その神性を高めることが信仰というものだという考えが根底にあるように思います。要するに他者である神(オーナー)は存在せず、人間が質の高いオーナー兼マネージャーとなることが信仰の目的だと考えられているように思います。キリスト教では、確かに人間の中に神的な性質は宿っているが、その理由は人間の魂が神の性質に似せて神によって創造されたからだと教えられています(日本語の聖書では、人間は神のかたちに創造されたと訳されていますが、英語の聖書では人間は神のイメージに創造されたとなっています。たとえば人間の永遠への思いなどが、永遠不変の神に似せて人間が創造されている一つの証拠だとしています)。


「主(神)に信頼せよ」と聖書にありますが、あなたの魂のオーナーである神に信頼し、魂の安心を手に入れていただきたいと願っています。
〔大泉聖書教会牧師 池田尚広〕