2021年12月号(アメイジング・グレイス)

 アメイジング・グレイスという歌は、多くの人が聞いたことがあると思います。この歌は日本人の歌手でも英語で歌う場合がほとんどですので、歌詞の内容を詳しく味わうことは少ないかもしれません。
歌詞の意味はひじょうに宗教的です。たとえば、1番だけでも「恵み」「救われる」「失われる」「見つけ出される」というような言葉が使われています。
この歌の歌詞はジョン・ニュートンという人によって書かれたものですが、自分自身の今までの生き方を振り返って神の恵みを告白している歌詞となっています。
 この人は18世紀から19世紀にかけて生きたイギリス人で、奴隷船の船長として働いていた者でした。彼がハウェイスという人に書いた手紙で当時の思いを次のように記しています。「私は奴隷売買に従事している間、それは合法的なことであるとして、少しも良心の呵責も感じませんでした。・・・事実、世間では奴隷売買は収益をもたらす上品な職業であると考えられていました。」


 しかし、彼はやがてキリスト教の牧師となるのですが、牧師になるまえの思いを手紙の中で次にように記しています。「私に対する神の恵みを公にあかしする機会を得たいと願っていました。そして自分こそが「キリスト・イエスは、罪人(つみびと)を救うために世に来られた」(※1)という言葉が真実であることを宣べ伝える(のべつたえる)のにふさわしい人物だと思いました。」
ジョン・ニュートンがそのように願った要因として、2千年まえの使徒パウロの体験がありました。


 新約聖書の多くの部分がパウロによって書かれていますが、パウロは若い時はキリスト信者を迫害する者でした。やがてパウロはイエスこそまことの救い主(すくいぬし)だとわかっただけでなく、ヨーロッパの多くの場所にイエス・キリストを宣教する者になりました。パウロの体験が記されている聖書の箇所をジョン・ニュートンが読んで思い巡らしている時に、「罪人(つみびと)の頭(かしら)」のような自分も神の恵みを経験した者としてそれを伝えたいと願ったのでした。「アメイジング・グレイス」には神の恵みの経験が溢れています。


 彼は牧師となり良い働きをしたわけですが、彼の遺言が残っています。「・・・私が背教者であり冒涜者であり不信仰者であった時に、主(しゅ)(神)はあわれみをもって見過ごし、守ってくださった。そしてアフリカの海岸で邪悪な生活をしていた時みじめな状態から救い出し、このような者を主(しゅ)のすばらしい福音を宣べ伝える者としてくださったのである。私は謙遜な信仰をもって、神であり人である主(しゅ)イエス・キリストの贖いととりなしに信頼する。これこそ、罪人(つみびと)が希望を託し得る唯一の基礎であると、私は再三宣べ伝えてきた。主は、私の残りの人生をも守り、導き、天の御国に立たせてくださると信じている・・・」
 アメイジング・グレイスの1番の歌詞の中にある「失われる」「見出される」は、聖書の中にある「群から迷い出た一匹の羊」が、救い主を通して神のもとに帰ってくる譬え(たとえ)から来ていることは十分理解できます(※2)。私たちすべての人間のたましいは神によって造られています。愛に満ちた神は救い主をこの世に遣わし、私たちの罪のための贖いを完成させてくださいました。ぜひ教会においでくださってその救いについて知っていただきたいと願っています。〔大泉聖書教会牧師 池田尚広〕

引用は「信仰に生きた人々シリーズ2ジョン・ニュートン」より、いのちのことば社
(※1)新約聖書第一テモテの手紙1:15
(※2)新約聖書ルカの福音書15:4~7