2022年12月号(教会のクリスマスにおいでください)

仕事の関係で外国にしばらく滞在した時にキリスト教会に行った人で、その時から信仰を持ったという人が少なからずおられます。
日本の社会の中で「信仰」というものは、特に苦しい状況にある人のためのものと思われたり、弱い人が頼るものと理解されることが多いわけですが、日本以外の多くの国では「信仰」は人生の中での普通の行為と理解されています。たとえば、アメリカのプロ野球選手(特に中南米出身者)の行動の中では、自然に神への感謝を捧げたりする行動を見ることができます。


ところで、日本で統一教会の問題が表面化したあとで、宗教というものは怖いから、とりあえず一切の宗教や信仰のようなものには近づかないようにしようと思った人が多いのではないでしょうか。不思議に思われるかもしれませんが、統一教会のようなカルトは、信仰が普通の行為と理解されているような国では広がっていないのです。
その理由としては、いくつかの原因が考えられます。

ヨーロッパの図書館で一番多くの著書があるとされるアウグスティヌスは、「主(神)よ、あなたは御自身の為に私たちを造られました。そして、あなたに安らぐまで私たちの心は安らぐ事は無いのです」と言いましたが、哲学者であり科学者であったパスカルも同じことを語ったと言われます。人間の魂が神の作品である以上、魂が空洞であり続けることは、いつでも危険なカルトであっても侵入する可能性があります。むしろ、無神論者が多い日本のような社会こそ、カルトの標的になりやすいと言えます。

統一教会は、「教会」と名乗っていますから日本では一般的にキリスト教の一派と理解されています。しかし、アメリカではMoonism[ムーニズム、創始者の文(ムン)の宗教]という新しい宗教と理解され、韓国では異端(いたん)と理解されています。異端とは、キリスト教の教えを取り入れつつ別の教えを加えた宗教やキリスト教の重要教理を削除した教えを言います。たとえば、統一教会の教えの中では「陰陽道」(おんみょうどう)の教えが含まれていて、旧約聖書の創世記の理解にその教えを適応しています。以上のことからもわかる通り、いわゆるキリスト教国と言われる社会では、統一教会の教えは相手にされていないのです。


それから別のことですが、アメリカでも韓国でも牧師という職業は、ひじょうに尊敬される職業です。そのような社会の中では偽物も多く出てくるものです。牧師(偽物)が、何か重大な問題を起こしたようなことはニュースになりますから、その事実が日本で報道されると、日本のような社会ではキリスト教はみんなそうだと理解されてしまうものです。


 日本の多くの方々が宗教全般に警戒心を持つことはわかりますが、警戒心を持ち過ぎて一切の宗教行為や信仰を拒否する姿勢が、結果的に自分や家族がカルトと結びついてしまう入口となってしまう可能性もあります。


 クリスマスという言葉は「キリストの祭り」という意味があります。教会に来ることは日本では敷居が高く感じられることかもしれませんが、信じることを強要することもありませんので、どうぞこの機会に教会においでください。すでに教会に来ている者たちの中には、いわゆる「みんなの思いや考え」が神となっている日本社会の中で、キリストを信じることを通して「みんな」を意識する思いから自然と自由にされたという者もいます。
ぜひ、この機会に教会においでくださり、伝統的なキリスト教が語っている信仰について知っていただきたいと願っています。
〔大泉聖書教会牧師 池田尚広〕