2023年10月号(あなたを守る信仰)

《あなたを守る信仰》
昔は中学や高校の中で荒れている学校があると言われた時もありますが、今では中学校のように内申書がない小学校の中で荒れている学校があると言われています。
ただし、受験に有利とされている有名な小学校に通う生徒は、付属の中学や高校に無難に入るためにも普段の生活態度に気をつけると共に、先生に対して尊敬を払い従順に生活していると思います。以前、この教会で土曜日の子ども集会を開いている時、そのような学校に通う子どもが来たことがあります。そして、その子の語る言葉から学校の先生の語る言葉を、正直にそのまま受け入れているんだなあと思わされたことがありました。
それは、イスラム過激派の活動がニュースで多く紹介されていた時、どうやら学校の先生が「一神教を信じる者は過激な行動をするが、多神教を信じる者は平和な社会を形成する」ということを言ったそうで、その子はその言葉を信じているようでした。子どもの言葉に対して議論はしませんでしたが、多くの日本人がそのように考える傾向があるのではないかと思わされたものです。


しかし、いわゆる多神教思想の歴史の中では、神々に対して子どもを生贄(いけにえ)として捧げたり、日本でも土木工事の安全祈願のために人柱(ひとばしら)という生きた人間を橋げたの所に埋めたりしてきた歴史があります。多神教思想は必ずしも平和な社会を作ってきたとは言えません。
それから、イスラム過激派の行動についてですが、彼らは自分を絶対者のように思っているのではありません。彼らがどこかを爆破したりするのは、その行動を彼らが信じるアラーが喜ぶはずだと理解しているからです。
キリスト教の神は、いっさいを支配している神ですが「憐れみ深く情け深い神、怒るのに遅く恵み深い神」として聖書に紹介されている(※1)ように、どんなに悪い者でも無残に殺されることが正当化されることはありません。


多くの日本人にとっては、いっさいを支配しているような神は信じられていないわけですから、そのような社会では人間同士の横の関係しかありません。結果的にそのような社会での宗教者は、ものすごく立派な態度が求められるものです。しかし宗教者がうまく立ち振る舞えば、逆にその宗教者は神のような存在としてあがめられる場合もあります。「洗脳」ということはこのような場合に起こりますが、特に日本で多く起きているように思います。
しかし、神がいっさいを支配する存在として明確に理解されている世界では、どんな宗教者も単なる人間であり神を紹介する者に過ぎません。アメリカでテレビ伝道者が女性問題を起こしたということがニュースになったことがありますが、それで信者たちが信仰をやめることはありません。なぜなら、彼の行動で神の存在がなくなるわけではないからです。


キリスト教会の歴史においても、教会は正しくない判断をしたことがありました。ただし、信じる対象は教会という組織ではありません。キリスト教において信じる対象は「憐れみ深く情け深い神」(父なる神)と「神の御子」(キリスト)です。そして、その神の性質などが記されている聖書が信仰の基本となります。ただし、聖書の文脈を無視して使う宗教も出てきていますから注意しなければなりません。
ぜひ、教会においでくださって正しい解釈のもとで、あなたを生かしておられる神とキリストの救いについて知っていただきたいと願っています。〔大泉聖書教会牧師 池田尚広〕
(※1)旧約聖書詩篇103:8