2024年2月号(神の愛について)

《「神の愛」について》
日本では、カトリックの宣教師が戦国時代にやって来ましたが、プロテスタントの宣教師は江戸時代後期にやって来ました。昔のプロテスタントの宣教師の特徴の一つとして、街中に出て大勢の人に語りかけるということがありました。
「あなたは亀を信じますか」と語る言葉を聞いて、この人は何を言っているのかと思った者もいたそうです。英語の発音で、i の発音は e に近いので、宣教師が「神」と語っているのが、「亀」と聞こえたようです。


それから、当時の宣教師は「愛」という言葉を多く語りました。たとえば、「神の愛」とか「神はあなたを愛しています」という言葉を繰り返し語ったそうです。当時の日本では、現代の日本人は信じられないかもしれませんが、「愛」という言葉を聞いて顔を赤らめる人も多くいたということです。どういうことかというと、当時の日本での「愛」という言葉の意味は男女の情愛を指す言葉だったそうです。ですから、「恋」と似た言葉として理解されていたわけです。
 それでもプロテスタントの宣教師たちはおかまいなく愛という言葉を使い続けました。その理由としては、代わる言葉がないので「大事に思う」とか「あなたは私にとって特別な人です」というような意味に変えて理解してほしいということだったのではないかと思います。西欧の映画の中で語られた「家族を愛する」というようなフレーズも一般の日本人に影響を与えたと思いますが、その西欧に影響を与えたのがキリスト教です。
 ある人は西欧の思想がキリスト教に影響を与えてきたと思っているようですが、キリスト教が西欧の思想的な土台を形成してきました。キリスト教は大昔から聖書によって絶えず修正されながらその働きを進めてきました。旧約聖書(39の書)のすべての書は紀元前に書かれ、旧約聖書のいちばん古い部分は紀元前1500年頃に書かれました。そして新約聖書(27の書)のすべては紀元1世紀に書かれました。旧約聖書はキリスト(救世主)の出現の預言などが書かれているので〔キリスト以前のこと〕、新約聖書はキリストの出現とその働きが書かれているので〔キリスト以後のこと〕が記されているので、旧約聖書と新約聖書を聖書と言います。


 聖書の中のいちばん有名な言葉とされるのが、「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子(みこ)を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」(※1)という言葉です。「ひとり子」とはイエス・キリストを指していて、「与える」とは人の罪の贖い(あがない)のために神の御子(みこ)が犠牲になるということです。「世」とは世の人々を指していて、その中にはあなたも入っています。神の愛は、人が滅びないで永遠のいのちを得るために与えられたものでした。
 現実のことには興味があるが、永遠のいのちなど興味はないという人もいますが、永遠のいのちとは現実の世界も死後の世界も、永遠に神が共におられるということでもあります。神が共におられるとは、日々の必要の満たしや、心の中の平安、その人らしい生き方の実現、死を恐れない生き方などを可能にするものです。


 また聖書の中で多くの人に励ましを与える言葉として、「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」(※2)という言葉もあります。この言葉の意味については、ぜひ教会のおいでくださって知っていただきたいと願っています。教会ではあなたのおいでをお待ちしています。〔大泉聖書教会牧師池田尚広〕
(※1)新約聖書ヨハネ福音書3:16
(※2)新約聖書マタイ福音書11:28