2024年6月号(あなたは、あなたらしく)

《あなたは、あなたらしく》
「あなたはあなたらしく生きればよい」とか、「私は私として生きていくんだ」という内容の歌の歌詞をよく聞くことがあります。しかし、それは理想として歌われているのであって、現実は私たちの社会では協調性が極度に強調されるので、そのような歌詞に励まされるということではないでしょうか。

ところで、キリスト教会に来ている者が、その知り合いなどに「教会に来ませんか」と誘うと、もし教会に行って信仰などを持とうものなら、その信仰に凝り固まってしまって、自分の個性が失われるかもしれないと思う人がいます。しかし、キリスト教会に来るようになった人は、他の人が自分をどう思うかという意識から解放されて、結果的に「自分は自分でよい」と思えるようになります。

身近にキリスト教会に行っている人がいない人にとってみれば、教会は未知の世界だと思います。ある人は、キリスト教会は「あれをしてはいけない。これもしてはいけない」と説教されるように思っているかもしれませんが、決してそうではありません。
 

キリスト教会が語っていることはいろいろありますが、その中で「あなたは神によって生かされている」ということがあります。人間はそれぞれの両親によって生まれてきますが、その背後には神がおられて、あなたは神の許可と導きによって、その時代に生まれさせられたということが教会では語られています。英語で「生まれる」は「生まれさせられる」(be born)と表現します。誰も生まれたいと思って生まれてきた者はいません。すべての人は生まれさせられた存在です。人間の性欲も神が与えたものであり、男女の関係から子どもが生まれることも神の計画の中にあることです。

多くの日本人が他の人が自分をどう思うかということを気にしながら生きています。特に、若い頃はその意識を強く持つもので、多くの学生は疲れています。「便所めし」という言葉を聞いたことはあるでしょうか。それは、ご飯をトイレの中で食べるということです。一人で食べているところを見られるのがいやで、トイレに入って食べる人が少なからずいると、ある教育評論家が言っていました。
周りの人が自分をどう思うかということを基準に生きることは、自分というものがない証拠です。日本人の多くが、何かに頼るのは弱い者がすることだと言いながら、周りの人と違った態度を取ることがないように強く意識しながら生きています。

人間は基本的な人生観を持つ必要があります(人は無の状態で生まれてきますから、外から何かの人生観を取り入れる必要があります)。それによってその人は生きる土台を獲得できるからです。ただし、世の中にはさまざまな人生観がありますから、その中からどれかを選択しなければなりません。キリスト教会に来られた方に対して、すぐに信仰を強要することはありませんので、ぜひ教会のおいでくださって、じっくり考えてから判断してくださればけっこうです。おいでをお持ちしています。
〔大泉聖書教会牧師 池田尚広〕