2021年2月号(セルフイメージ)

《セルフイメージ》
セルフイメージは自己受容・自己肯定感が関係していると言われます。中高生のカウセリングもしている人が次のように自書の中で述べています。「多くの中高生が低いセルフイメージを持っていると感じますが、これは中高生のみならず日本人に多く見られる傾向だと思います。多くの人はセルフイメージの低さに悩み、その葛藤や苦い思いから抜け出そうとしているのではないでしょうか。おそらく自己受容・自己肯定がうまくできていないのだと思います。セフルイメージが低い場合、さまざまな問題が生じてきます。」(※1)


この人は、セルフイメージの低さは日本人に多く見られる傾向だと語っています。一般的な日本人の特徴としての代表的なことは、無宗教であることと、どんなものでも神になり得るという多神教思想を持っているということとだと思います。多神教はすべてのものが神の一部であるという思想でもあるので、人間も神の一部として尊いのだということにもなります。そうであるなら、セルフイメージが高くなってもよさそうですが、必ずしもそうではありません。自分も神の一部だという考えは美しい思想にも思えますが、それは「自分は尊いのだ」と自分に言い聞かせているだけのことです。またその考えは、誰でも自分の不甲斐なさを意識する時もありますから、そのような自分を受容するには役立ちません。


たとえば、親子の関係から考えれば自己受容に関することを良く理解できます。親から「あなたは大事な存在だ」というメッセージを直接・間接に受け取っていれば、その子どもは「自分の存在には意味と価値がある」と思えるようになります。親は小さな子どもにとっては、存在の土台であり心の港です。親という存在は決して子どもと並列な存在ではありません。
しかし、多神教世界においては、すべてが並列に置かれています。そうなると、みんなが価値があると思うものが価値があり、みんなが価値がないと思うなら価値がないものとなる傾向が出てきます。そのように、「みんな」という存在が重要となります。「みんな」の思いを土台にして生きていたら、セルフイメージが健全になることはありません。


わりと西欧の人たちがセルフイメージが高いのは、神観と関わりがある部分があると思います。ヨーロッパでもアメリカでも昔に比べて現在は忠実に教会に通っている人は少なくなっているようですが、心の底に刻まれている神観は残っているように思います。その神観はキリスト教が根底にありますから、神が存在するとすれば「神は全知全能である」と共に、「神は愛である」という神観であるはずです。自己受容は、自分に対して不甲斐なさを感じる者を受け入れてくれる神の存在が大きな役割を果たしています。


ところで、神を信じるという行為は、ある意味では勇気がいる行為です。もし、その教えが危険な教えであれば、みんなの思いを神として生きていたほうが、まだましだったということにもなり得ます。聖書は、ある程度の西欧の常識を作ってきました。そして、日本はすでに聖書的思想を取り入れてきました。ぜひあなた自身が聖書を読んでくださって、あなたを愛しておられる神を信じていただきたいと願っています。〔大泉聖書教会牧師 池田尚広〕

(※1)川口竜太郎著「中高生に信仰を伝えるために」(いのちのことば社、P28-29)