《わたしのところに来なさい》

 数年前、テレビの特集で次のようなことを放送していました。小学生ぐらいの子どもを持つ3人の仲のよい、いわゆる「ママ友」がいました。彼女たちは、午後には3人でランチを楽しむ仲でした。そのテレビの特集は一人のママに焦点を合わしていて、その人の生活は経済的にギリギリの状態で、夫ともお金のことや子どもの教育のことで争いが絶えず、精神的にもギリギリの状態でしたが、他の二人には気づかれないように振舞っていました。しかし、たまに自分の命を絶ったら楽になれるかもしれないという思いも湧いてくるようなこともあったそうです。そのような時、仲の良いママ友の一人が命を絶ったということを聞きました。自分だけではなく、もう一人の人もギリギリで生きていたのでした。その後、その人は着飾ることなどをやめて、地に自分の足をつけて生きるようになったようです。
 イエス・キリストのことばの中に、「すべて疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」(1)ということばがあります。ここで語られている「疲れ」とは、その人が持っている価値観から来る疲れのことです。人が、自分が持っている価値観を変えることは容易なことではありません。価値観を変えるには、それ相応の危機的な状況を通らなければ、人は価値観を変えることはできないものです。古い価値観から離れることは、いわば自分が無くなってしまうことであり、新しい価値観を持つにしても、それが自分を本当に幸せにしてくれるという保障はないからです。ですから、ほんとうにギリギリまで、人は新しい価値観を持つことはないようです。
 あなたの状況は、それほど深刻でもないかもしれませんが、ぜひ、イエス・キリストのことばに耳を傾けていただきたいと思います。
 男性の場合は、役職が自分の存在価値になっているところがあります。定年退職して、自分のポストがなくなったとき、自分自身の存在意義が大いに揺らぐということを聞いたことがあります。
 聖書の中に、「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ」(2)ということばがあります。「創造者」とは、あなたをこの世に存在させた者のことで、全知全能の神を指しています。日本では一般的に、宗教は弱くなってから持つものという意識が多くの人にあるように思います。しかし、永続する価値観には必ず宗教的要素はあるものです。見栄を張ったり、自分のポストに一生の価値を置くことが、それほど価値があることでしょうか。お金が多くあることは良いことですが、必ずしもそれがあなたを幸せにするとは限りません。お子さんについても自慢できることもあるかもしれませんが、人には言えないことも出てくるかもしれません。あなたが何も飾らなくても、あなたの存在に関わってくださり、あなたとの関係を持とうとしておられるお方(神)がおられることを知っていただきたいと思います。救い主(イエス・キリスト)は、神がこの世に遣わした唯一のあなたとの架け橋です。キリストを通して、魂の安らぎを経験していただきたく願っています。教会では、あなたのおいでをお待ちしています。

(大泉聖書教会 牧師池田尚広)

「神は実に、そのひとり子(キリスト)をお与えになったほどに世(世の人)を愛された。それは御子(キリスト)を信じる者が一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(3)

 (1)新約聖書マタイの福音書11:28)
(2)旧約聖書伝道者の書12:1)
 (3)新約聖書ヨハネの福音書3:16)