《ギリシャと日本》

 昔、ギリシャでは奴隷がすべての仕事をしてくれたので、多くの人たちは知的好奇心だけを追い求めることができました。そのことが原因かどうかわかりませんが、哲学という学問もギリシャで生まれました。

新約聖書の「使徒の働き」(もしくは「使徒言行録」)という箇所には、最初の宣教師パウロがギリシャのアテネでキリストを伝えた様子が記されています。そこにはアテネの町が偶像でいっぱいだったと書かれています。(偶像とは石の神、木の神など、人間の手で作られた神々を指すことばです)また、その聖書箇所には「知られない神」という名の神もあったことが記されています。つまり、「名もなき神」という名の神もありました。

私の知人が現在のアテネを旅行しました。今もパルテノン神殿などの遺跡はありますが、そこで宗教行事が行われているわけではないようです。また、町の中には数限りない教会が建っていたそうです。その人の感想ですが、アテネには現代のソウル(韓国)よりも多くの教会があったと言っていました。私はソウルに旅行をしたことがありますが、町の中にはひじょうに多くの教会があり、夜になると、あちこちに光っている十字架を見つけることができました。
 短いあいだにアテネは急激に変化したことがわかっています(ギリシャ正教というキリスト教の一つの流れがありますが、短期間のうちにギリシャはキリスト教の中心地のひとつとなりました)

 A.D.1世紀前半のギリシャの思想をみてみますと、宇宙全体が神であり、存在するすべてのものが神の一部を構成しているという考えがありました。ですから、石で作った神々や木で作った神々も、宇宙全体の神に至る入口と考えられます。そのような入口はどれだけあってもよいので、多くの偶像が作られたのでしょう。

 日本にも、これと似た考えを持った人たちがいます。自然や動植物、すべてが神の一部を構成しているので、すべてが尊いという考え方です。

 さきほどの新約聖書の「使徒の働き」の箇所ですが、アテネの人たちが自分の思想をしっかり持っていたこともあって、相手の意見(使徒パウロのことば)も、じっくり聞いてくれました。〔自分の意見があいまいな人は、相手の意見もじっくりと受け止めることはできないものです。〕 結果的に、パウロのことばを聞いても、多くの人たちは興味本位だったので去って行きましたが、それでも数人の者たちが信じました。

 使徒パウロが語ったことは、神がすべてのものを造ったということと、人はそれぞれ決められた時代と場所に生かされていることなどでした。

 さて、ギリシャでは宇宙全体が神であるという思想から、なぜ急に変わったのか興味深いところです。宇宙全体が神であるという思想は尊い思想のように見えますが、なぜ私たちは生きているのかということに対する回答を与えてはいません。海の波のしずくの一滴も神の一部だとしても、なぜ、何のために存在するのかということについては、偶然という域を出ないことになります。

 使徒パウロは次のように語りました。「神はひとりの人からすべての国の人々を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに決められた時代と、その住まいの境界とをお定めになりました。」(使徒の働き1726

 その意味は、私たちはそれぞれ神が定めた時代に生き、どの地域で生まれるかも定められたということです。神が定めたということの中に存在理由があります。また、結果的に、私に存在理由があるなら、隣の国に住む人にもあるということになります。

 存在理由は自分で作るものではありません。すでに与えられているものです。ぜひ、あなたも、すでに神によって与えられている存在理由を受け入れていただきたいと願っています。教会ではあなたのおいでをお待ちしています。
(大泉聖書教会牧師 池田尚広)