《目から鱗(うろこ)》

聖書の言葉で、世の中では普通のことわざのように思われていることばが多くあります。その中で「目から鱗(うろこ)が落ちる」ということばもあります

ネットの「故事ことわざ辞典」には、その説明として、「あることがきっかけに、今までわからなかったことが急に理解できるようになること」と記した後に、それは新約聖書の言葉に基づくと書かれています。

新約聖書は、キリストの言葉や行動を記した福音書という部分と使徒(キリストの弟子)の働きの歴史、教会への手紙などで構成されています。

その手紙のほとんどを書いた人物がパウロという人でした。パウロの目から鱗(うろこ)のようなものが落ちたことが、使徒の働き(もしくは使徒行伝、使徒言行録)という部分に記されていて、それが「目から鱗(うろこ)が落ちる」の起源となりました。(使徒9:18)

一時的に目が見えなくなっていたパウロですが、ある人の祈りによって目から鱗(うろこ)のようなものが落ちたのでした。

 単に、目の機能が回復したということでは、このようなことわざはできません。この時にパウロの心の中に起きた変化が、ことわざの背景にあります。

 西欧人の名前でポールという名前があることはご存じだと思います。ポールの名前は、このパウロに由来しています。また、ロンドンにあるセント・ポール大聖堂の名前もパウロに由来しています。しかし最初は、パウロはクリスチャンを迫害する者でした。

 「クリスチャン」とは、キリスト信者に対するニックネームで、当初「キリスト野郎」というような意味で呼ばれた言葉です。ユダヤ人の聖書学者であったパウロは、クリスチャンは間違った教えを言い広めているという理解のもとで、クリスチャンを迫害したのでした。

当時は、まだ新約聖書は書かれておらず、聖書といえば旧約聖書だけでした。旧約聖書にはキリスト(救世主)がやがて来るという預言が数多くあります。パウロは聖書の学者ですから、その預言の事実を否定していたのではなく、イエスという人物がキリスト(救世主)であるという事実に対して異を唱えていたのです。当時のユダヤ人がイエスを十字架につけた理由は、この理由によりました。

さて、パウロについてですが、彼は権力を与えられてダマスコ(シリアのダマスカス)に逃げていったクリスチャンを捕らえようとその途上にあるときに、奇跡を経験します。まばゆい光を浴びて目がくらんで倒れていた時に、「なぜ、わたしを迫害するのか」という天から声を聞きます。「主よ。あなたはどなたですか」と彼が言うと、天から「わたしはあなたが迫害しているイエスである。立ち上がって町に入りなさい。そうすれば、あなたのしなければならないことが告げられるはずです」という声を聞いたのでした。

ちょうどその時に、ダマスコではアナニアというクリスチャンが祈っていると、神から幻を与えられ、街路に出て、ある家に行き、パウロという者に手を置いて祈りなさいと告げられていました。それで、アナニアがパウロに手を置いて祈ると、目から鱗(うろこ)のようなものが落ちて、パウロは見えるようになったのでした。それからしばからくして、パウロは「イエスがキリスト(救世主)だ」と語る者に変わりました。その時から、彼はユダヤの指導者から命を狙われる者になったのですが、ヨーロッパ各地でキリストを伝え、信者たちを教えるための多くの手紙を書きました。その後、伝説によればローマで殉教したということです。

キリスト教会が信じ伝えていることはパウロが経験した内容です。教会では、あなたのおいでをお待ちしています。

(大泉聖書教会 牧師池田尚広)