《現実と祈り》

アメリカのプロ野球(メジャー・リーグ・ベースボール)では、アメリカ人の他に中南米の選手やアジア系の選手など、多くの国の選手が活躍しています。その中で、クリスチャンの選手も多くいます。ほとんど毎日試合がある環境の中で、クリスチャンの選手が礼拝を守ることができるように、日曜日には球場の近くまで牧師が出かけて行って、そこで彼らが短い礼拝を守ることができるようなシステムもできているそうです。

クリスチャンの選手は厳しい競争の中で、良い成績を出すことができるように祈るでしょうが、神に頼って練習をしない人たちではありません。個人の潜在能力と、絶え間ない練習と経験が必要なことは誰でもわかっていることです。神への信仰は、人生のもっと深い部分に関わっています。

たとえば、彼らは自分の成績が悪いことを神のせいにはしません。しかし、良い結果が出た時には神に感謝します。特に中南米の選手は感謝を態度で表します。彼らにとって、神は都合のいい道具ではありません。神は畏れ多い方であり、あがめるべきお方です。そして、神は人間の都合で、存在したり存在しなかったりするようなものではありません。

ところで、良いプレーができた時には、なぜ彼らは神に感謝をささげるのでしょうか。彼らのほとんどが大男であり、力に溢れ、自信にも満ちているようですが、良いプレーをした時には素直に神に感謝をささげるのは、どうしてでしょうか。それは、彼らが祈りの答えを得たということが、ひとつの理由です。たとえばバッターであれば、自分の祈りの中で、落ち着いてバッターボックスに立つことができるようにとか、ボールに対してベストな対応ができるようにと祈っているはずです。それで、うまくボールをたたけた時には神に感謝します。その他の理由として、実際の体験の中で、祈りからくる落ち着きなどを彼らが経験していることが、神に感謝する理由です。

しかしたまに、祈っていても、うまくボールに対応できない時もあるかもしれません。そのような時に、彼らは神のせいにすることはありません。相手のピッチャーが実力的に上である場合もあれば、自分の練習不足が原因である場合もあります。神は祈りに答えてくださる私たちの親のような存在であるとともに、公平な存在でもあります。

裏面にセントルイス・カージナルスの一選手として、去年ワールド・チャンピオンになった田口壮選手の信仰のことを記してあります。

田口さんの家庭の中で、妻の恵美子さんが先にキリスト教を信じました。恵美子さんは、自分が信仰を持ったいきさつや、それによって人生が変わったことを夫に話しました。それまで、田口さんにとっては、自分の生活と宗教はまったく無縁で、「イエスさまのことは聞いたことはあったけど、日本人にとっては、宗教といえば仏教だし、ぼくにとって、教会や教会に行く人を見たことは大きな変化でした」と言っています。アメリカに移って1年半が過ぎた2003年の秋、田口さんはイエス・キリストを信じました。「自分の心に響きました。理解でき、実感することができました。これが本物だってわかったんです」と語っています。

 メジャーリーグの30球団のそれぞれのチームには、だいたい数人のクリスチャンがいると思いますが、田口選手のいるカージナルスでは、3番打者のアルバート・プホルス、ジョン・ロドリゲス、ブレイデン・ルーパーがそうです。ジョン・ロドリゲスは、田口選手のことを「あんなに体が細いのに、こんなに熱心な選手は見たことがない」と言っています。また田口選手自身も、他のクリスチャンから励まされることも多く、プホルスについて「プホルスは、とても優しくしてくれます。彼は言語を理解できないつらさをわかってくれるし、信仰の手本となるクリスチャンでもある」と語っています。また、田口選手は自分の信仰について、「聖書のことばは、自分にとって助けになります。家庭でも、また試合中でも、イエスさまに祈れるのはうれしいですね」と語っています。

〔裏面の田口選手に関してのことは、クリスチャン新聞福音版2007年4月号より引用。クリスチャン新聞は、米スポーツ福音雑誌「スポーツ・スペクトラム」から転載している〕

 

新約聖書の原語のギリシャ語で、「人間」はアンスローポスといいます。それは、上を見上げる者という意味です。つまり、それは、神を見上げる者とか、神に祈る者という意味に理解できます。

 祈りは弱い者が行うことではありません。それは、すべての人に備わっている行為であるとも言えます。ぜひ、教会においでくださって祈りについて学んでいただきたいと願っています。また、祈りについて学ぶには、祈る対象についても学ぶ必要があります。ぜひ、教会においでください。教会では、あなたのおいでをお待ちしています。(大泉聖書教会牧師 池田尚広)