信じるきっかけ

聖路加国際病院名誉院長の日野原重明先生のことは、多くの方がご存じだと思います。また、事故によって首から下が麻痺したことによって、口に筆を加えて詩と花の絵を描く星野富弘さんのこともご存じの方が多いと思います。このお二人が、あるキリスト教関係の出版社の企画で対談をして、それが本になったものがあります。出版社の人から、お二人が信仰をもったきっかけについて聞かれ、次のように答えていることが本の中に記されています。

日野原:「私は父が牧師でしたから、ボーン・クリスチャン(生まれながらのクリスチャン)で、聖書を読むことを子どもの時から教わりました。私が洗礼を受けたのは8歳でした。当時、小学生はまずカタカナを習うので、1年生だった姉は、カタカナで聖書を読んでいました。・・・私は子どもの頃から追い抜くことが好きでしてね。一つ年上の姉を追い抜くために、カタカナが読めない私は自分でひらがなを勉強したのです。そして、毎朝ひらがなで聖書を読んでいました。私の心にいちばん残っているのが、小学1年生か2年生のクリスマスに暗唱したコリント人への手紙第一の13章です。その中でも、『もっとも大切なものは愛である』という言葉。子どもの時に覚えたこれらの聖書の言葉が、ずっと後まで私を導いてくれました。

星野:「私はケガをしたことが、(信仰を持つための)大きなきっかけなんです。人の世話にならなければ生きていけない、こんな人間が生きていていいのだろうか・・・そう思っていた時、聖書に出会いました。聖書を読んでいくうちに、「生きていていいんだ、こういう人間でも神様は尊く大事に扱ってくださるんだ」と教えられました。その時、「信じられるように」というより「信じたい」と思いました。そして、それまで自分の中にあった、人と比べて生きるという姿勢がなくなりました。人をうらやんで、人が幸せになると自分が不幸になり、人が不幸になると自分が幸せになる。日常生活は何も変わっていないのに、常に自分が幸せになったり不幸になったりする。それを毎日のように繰り返している。そういう世界から抜け出せた気がします。そして、自分が神様に赦されているのだから、自分も人を赦すべきだと。これは少し努力が必要だったのですが、長い間聖書を読んでいるうちに、そういう考えが、少しは自然に持てるようになったんです。そして、人を赦せた時に、いちばん平安を得るのは自分自身なんだということにも気づきました。」

参照:「たった一度の人生だから」(いのちのことば社フォレストブックスP.6971

教会には販売用の聖書の他に、差し上げることができる新約聖書があります。興味のある方はぜひおいでください。また、今回の交流タイムや、教会の礼拝に、ぜひおいでください。   
大泉聖書教会 牧師池田尚広