ある人の経験

この教会に、8月初旬韓国のキリスト教会の方々が来られました。その中に、76歳の男性がおられ、自分の体験を話してくださいました。韓国ではクリスチャン人口が多く(国民の40%近いと言われている)、今は教会には行っていないが一度はキリスト教会に行ったことがあるという人も含めれば、ほとんどの人が教会に行った経験があると言えるかもしれません。

この76歳の男性は、若い頃は熱心に教会に通ったそうです。兵役を終えた時に、お金を稼いで生活が安定してからまた教会に通えばいいと思って教会に行かなくなりました。35歳の時に事業を始め、365日休む暇なく働いたそうです。〔以下、本人の言葉〕しかし、詐欺にあったりして会社は倒産し損害ばかりが重なりました。また、不眠症・抑うつ症が出て眠ることができなくなり、消化不良に慢性疲労、慢性頭痛で健康はどんどん悪くなり、普通の生活を続けることができない状態になりました。心がいつも不安でトラかライオンのようなものが追いかけて来るような恐ろしさを感じ、判断力を失いました。精神がうつろな状態のままで車道と歩道がわからなくなり、車道を歩いて危なかったことが何度もありました。

あたりをどんなに見まわしても、生き続ける方法が見えなくなり絶望的な状態だった時、突然神さまを思いだしました。父親を離れて家を出て、財産を使い果たして家に帰った息子(新約聖書ルカ福音書15章)のように、神さまに帰る以外に道はないと思うようになりました。どうせ死ぬようになった命だから、生きるなり死ぬなりどうなろうが神さまのまえに戻ろうと教会を訪れました。そして、限りなく泣きながら赦しをお願いしました。数日間、心から切実に泣いてお祈りしたら、祈りの中で神さまの声が聞こえてきました。「おまえは、わたしを離れてどれだけお金を集めたのか?どんなに豊かになったのか?おまえはわたしを離れたが、わたしは片時もおまえを忘れたことはなかった。やっと戻ってきたのだから、おまえに関するすべてのことをわたしが成し遂げてあげよう。だからおまえは、わたしだけを信じて、頼って、献身しながら暮らしなさい」という神さまの声でした。私は、その声を聞いて、申し訳なくて泣いて、また感謝して限りなく泣き続けました。〔韓国では、ほとんどのキリスト教会で、「早天祈祷会」という朝の祈り会が毎朝あり、そこでは牧師の短いメッセージのあと、各自が自由に祈る。神の声を聞くという体験については、不思議に思われる方もおられると思いますが、心から悔いている者にはひじょうに稀なケースとして、神が特別な言葉を授けることもあることが聖書からうかがえます〕

感謝なことに、それからは不安で苦しいばかりだった心が平安になり、「もう私は助かった」という思いが湧いてきて、今まで経験したことのない感謝と喜びと平安が心の中に溢れるようになりました。心がいつも平安になって、事業もうまくいきました。あれから、信仰生活が楽しすぎて、健康も良くなり、子どもの教育もあまり問題なく、老後対策まですべてを解決してくださって、心と体に溢れる祝福を受けるようになりました。「何よりも、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのもの(日々の必要)はみな与えられる」(聖書の言葉)という神さまの言葉を実感する経験をしました。神さまの愛と恩恵がなかったら、果たして私の人生はどうなっただろうか?と思えば思うほど、感謝する気持ちを言葉では表現できないのです。信じない方々を見ると、なぜこんなに良い神さまを信じないのか、本当に残念な気持ちで、神さまの大きな恩恵を少しでも返すために、私が生きている間、私の出会った神さまをただ自慢し、証ししながら生きたいと思うだけです。私のたった一つの願いは、生きている間に、一人の魂にでも福音を伝えたいということです。〔以上、リュ・ジチャンさんの経験〕

韓国では、キリスト教人口をはじめ、仏教人口も多いので、日本のように宗教一般に対する警戒感はありません。その関係で、おかしな宗教家も出て来るわけですが、この度、こちらを訪問された教会は、ごく一般的なキリスト教会です。

教会ではあなたのおいでをお待ちしています。ぜひ、おいでください。

(大泉聖書教会牧師 池田尚広)