《西欧人に影響を与えた日本の信仰者》

キリスト教といえば欧米の宗教と考えておられる人が多いと思いますが、日本人のキリスト教信仰から決定的な影響を受けた欧米人も、なかにはいます。

上智大学のディーケンという教授は、幼い時にドイツ語に訳された長崎の二十六聖人のことが記してある本を読みました。その経験が人生の土台となり、自分の人生の大きな転機の時の決断を支えたそうです。ディーケン教授の少年時代は、ドイツはナチスの支配下にありました。12歳の時にドイツの小学校から、ただ一人ナチス・ドイツの訓練養成学校への推薦を受けました。このことは、当時としてはひじょうに名誉なことだったそうです。ところが、12歳のこの少年はクリスチャンの立場でそれを拒否しました。それに対して学校の先生は泣いて怒ったということです。この時の決心の拠り所は長崎の二十六聖人の信仰でした。二十六聖人の中には、その時のディーケン少年と同じ年の12歳の少年もいたそうです。


これから、はりつけにされていくその少年に向かって、一人の侍が言いました。

「信心をやめろ。そしたら、お前を養子にしてやる」
少年は侍に答えました。
「あなたも、イエス様をぜひ信じられて、クリスチャンになって天国に来てください」

ディーケン先生は感動したそうです。「私はこの話に支えられて、その模範にならって自分の人生を決定できたのです。私はどんなことがあっても、あの日本に行きたい」と思ったということです。皆さんが想像しておられるキリスト教信仰というものはどのようなものでしょうか。ある人は白人の宗教というイメージを持ち、ある人はキリスト教式の結婚式を想像し、ある人はちょっと軟弱な人が信じる宗教だと想像します。世界中には有色人種が集うキリスト教会も多く存在しますから、キリスト教は決して白人のものではありませんし、欧米のものでもありません。

ぜひ、覚えていただきたいことは、「キリスト教信仰とはキリスト信仰」ということです。つまり、キリストを信じるのがキリスト教信仰です。世の中には自分たちの勢力拡大のために、違った教えを持った者に害を与えることを良しとする宗教もあるようです。真のキリスト教信者は、イエス・キリストに倣う者ですから、そのような考え方はしません。

ところで、日本の多くの人たちは物事を客観的に冷静に見ておられるように思います。そして、宗教や特定の思想に対して、厳しい目をもっていますから危険な思想に入信する者は少ないと思います。しかし、もしこの国が昔のように国粋的な国になったとしたら、はっきりとNOと言うべき時にNOと言える人がどれだけいるでしょうか。一人の人間の力は弱いものです。そして、周りの影響力は強いものです。ディーケン少年を支えたものは、彼自身の平和思想でもなく、彼の善悪の基準でもなく、長崎の二十六聖人のキリスト信仰でした。

日本人の多くの人が、人生とは自分自身を強くしていく過程であり、宗教に頼ることは弱い者の行為であると思っています。そして、自分自身を強くしていくとは、強い信念をもって難局を切り開くような人になることだと思っている人が多いように思います。しかし、信念の拠り所は、特定の言葉であるはずです。その言葉を自分で悟るのでしょうか。私たちが悟れることは、どこかの本にすでに書かれているはずです。真理の言葉を探すことは、決して弱い者の行為ではありません。

ぜひ、教会においでくださり、キリスト信仰について知っていただきたいと願っています。おいでをお待ちしています。   (大泉聖書教会 牧師池田尚広)

ディーケン教授の情報:(「生き生き人生の条件」田中信夫著、一粒社)参照