《リンカーン》

リンカーンは、歴代アメリカ大統領の中で、一二を争うほど有名な人物です。奴隷開放という事業で有名な部分と、生い立ちと生き方において有名な部分があると思います。
後者の生い立ちと生き方の部分ですが、リンカーンは以下のような失敗と不幸を経験しました。
9歳 母親を亡くす
22歳 事業に失敗
23歳 州議会議員選 落選
24歳 再び事業に失敗
26歳 婚約者を突然不治の病で亡くす
27歳 神経衰弱を患う         
29歳 州議会議員選 落選
31歳 大統領選挙人選 落選
34歳 下院議員選 落選
40歳 次男(3歳)を失う
46歳 上院議員選 落選 
47歳 副大統領選 落選
49歳 上院議員選 落選
53歳 三男(11歳)を失う

リンカーンは貧しい家庭に生まれたせいで、幼少時代には4冊の本しか持っていなかったそうです。その4冊とは「聖書」、「ジョージ・ワシントンの伝記」、「天路歴程」(簡単に読める宗教書)、「イソップ物語」でした。これらを繰り返して読んだことが、リンカーンの人生の枠組みの形成に大きな影響を与えたと言われます。

ある教育者はリンカーンについて次にように述べています。『リンカーンといえば、七転び八起きの精神や真面目さ、そしてその中にもユーモアを忘れない人というイメージがありますが、その生き方には憧れるものがあります。彼は大人になる前に、自分というものをいい部分も劣る部分もすべて受け止めることができるようになっていました。これを可能にしたのは、彼の生きることへの肯定感でした。どんな不幸に見舞われても、何度失敗したとしても、自分はこうして生きていけばいいのだという前向きな姿勢を思春期までに身につけることができたのです。』(「十代の心を理解するために」尾上史郎著、福音社P.82より)

私たちの社会では「信仰」というと、失敗しないで良いことだけを経験するために持つものと理解されたり、悲しみや苦しみを和らげるために持つものと理解されることがあります。あるいは、神という存在が失敗を怒る存在として理解されることもあり、それでそのような神には近づきたくないと思われることもあります。

神は失敗を怒る神ではありません。良い親は、子どもの「失敗」と「悪い行為」をしっかりと見極めます。神も私たちの魂の親ですから、良い親のような存在です。現代の親御さんは、子どもが失敗することを極端に恐れているように思います。結果的に子どもたちは、「失敗したらいけないんだ」と思って育つこととなります。

ぜひ、私たちを存在させている神様について知っていただきたいと願っています。聖書には「罪」という言葉がありますが、それは失敗のことではありません。それは、一般的に悪い行いとされていることも指しますが、根本的には、「罪」とは神を無視して自己中心に生きる生き方を指す言葉です。

神の子であるイエス・キリストは次のように語りました。「すべて疲れている人、重荷を負っている人はわたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。・・・わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです」(マタイ11:28,30

聖書の言葉は人を縛るものではなく、人を活かすものです。リンカーンがキリストを信じることの中に自己肯定感を持てたように、私たちをもそのように自由にするものです。教会ではあなたのおいでをお待ちしています。
 (大泉聖書教会 牧師池田尚広)