《リタの人生》

NHKの連続テレビ小説「マッサン」も終わりに近づきました。竹鶴政孝の妻リタは、テレビでは「エリー」という名前で描かれています。

リタは政孝よりも先に、64歳で亡くなりました。政孝は晩年東京で暮らしていました。以前から「リタと同じところに行きたい」と話していたそうで、東京聖三一教会という教会で洗礼を受けました。政孝が余市に作らせたふたりの墓には十字架が刻まれています。

余市にある旧竹鶴邸にはリタの聖書と十字架が展示されています。旧竹鶴邸で一般公開されているところは、玄関ホールと庭園だけだそうですが、限られたスペースの一角に聖書と十字架が展示されています。この聖書と十字架は、リタが幼いときに両親からもらったもので、彼女はこれを生涯大切にしたといいます。

リタが天に召されたときに葬儀が行われたのが余市教会というキリスト教会でした。その当時の余市教会の吉岡という牧師が、死は終わりではないこと、キリストを通して天国への希望があることを語ったことが、当時の教会の週報から受け取ることができるそうです。

政孝は、余市教会の幼稚園舎建築の経済的必要のことを知り、リタの遺産を余市教会に寄付しました。町の有志もこの事実を知って幼稚園舎建築のために寄付をしたそうです。余市教会に併設されている幼稚園の名前はリタ幼稚園といいます。当時の毎日新聞小樽版の記事で、吉岡牧師は次のように語っています。

「聖職に奉仕するようになって最大の感激でした。竹鶴社長の意思や町の人たちの善意を生かしてりっぱな幼稚園に仕上げたい決心です。リタ夫人の遺徳はキリストの名とともに余市の幼児を通して永遠にこの地に残されるでしょう。」

 余市駅前から余市市役所までの国道229号の道をリタロードといいます。余市町には「リタロードを守る会」があり、現在は70人ほどがリタロードの歩道清掃、植樹、花の管理などを行っています。この道が、「ニッカロード」
もなく、「竹鶴ロード」でもなく、「リタロード」と名付けられているところに、リタが政孝やニッカウイスキー誕生に大切な存在だっただけではなく、町の人たちにも大切な存在だったことがうかがわれます。〔『リタと旅する』(フォレストブックス)より抜粋〕

 時代は違っても変わらない大切なものがあります。夫婦愛や隣人愛というものや、夢を実現するために諦めない精神のようなものがそれに当たるのではないでしょうか。その変わらないものを大切にしたい思いは誰にでもあるので、それを大事に生きている人を見て励まされるのだと思います。

 聖書は生きるために重要なことを二つ語っています。ひとつは心から神を愛することで、もうひとつは隣人を自分と同じように愛することです。隣人とは、家族や、職場の人や、近所の人や、隣国の人などを指しています。隣国といっても直接国境が接している国だけではなくすべての国々と解釈すべきです。

 社会全体が自分と同じように本当に隣人を愛するようになれば、良い社会になれるはずです。しかし、世の中には利害関係もあり、主張し合わなければならない時もあります。理想通りには、なかなかいかないのが世の中です。それでも、ひとつの正しい物差しを持っているのと持っていないのとでは大きな違いがあります。今の世の中には、驚くべきことに「なんで人を殺してはいけないんですか」と質問をする人がいるそうです。すべてが相対化されている世の中で、幼い頃から正しいことをはっきりと覚えることは大切です。リタ幼稚園でも「隣人を自分と同じように愛せよ」と教えているはずです。

教会ではあなたのおいでをお待ちしています。 (大泉聖書教会牧師 池田尚広)