《明治時代に習慣化された日曜休日》

日曜休日の起源をご存じでしょうか。わが国では江戸時代まで、休みは「盆」(8)と暮れ(年末年始)しかありませんでした。明治時代になって、新政府が西欧文化を取り入れようとしたことで、キリスト教に基づく今のカレンダーが入ってきました。それで日曜日が休みの日になったのです。

現代では少し変わってきたようですが、以前はヨーロッパやアメリカを旅行しますと、ほとんどの商店が日曜日には閉まっていたそうです。日曜日に多くの人が忠実に教会に通っていたので、たとえ商売好きの店主が店を開けていたとしても商売にならないので閉まっていたと思われます。「大草原の小さな家」で描かれている時代では、地域社会のほとんどの人が日曜には教会に通っていましたが、しかし今や西洋社会でも日曜日に忠実に教会に通う人は少なくなったようです。

ただ、「休む」ということに関しての基本的な考え方は、西洋人の中に受け継がれているように思います。休むことは怠けることではなく、体と精神が回復されるために必要なことであり、人間が人間らしい生き方をするために不可欠のことであるという考え方が西欧人にはあるようです。その考え方は聖書に起源があります。

 今から約3500年(紀元前1500年)まえに、七日間で一日は自分が休むだけではなく、使用人や家畜や在留異国人も休ませなければならないという命令が聖書(旧約聖書)に記されました。日本では縄文時代であったこの時代は、民主主義の思想からも、はるかに遠い時代でした。

七日間を一週間とする考えも聖書から来ていますが、そこには人間の精神と体に合った知恵があります。

アメリカ西部開拓時代のことですが、次のような話があります。当時、西部の広大な土地が、本人の申請と努力次第で自分のものになるという法令が出されました。それで、多くの人がわれ先にと西部に向かいました。人々は休むことなしに、一足でも先に西部に着こうと馬車を走らせました。その人々の中に、ある牧師の家族がいました。彼らは六日間馬車を走らせ、日曜日がくると誰が先に行こうと気にせずに、馬車を止めて神を礼拝し、一日ゆっくり安息の時を持ちました。そして月曜からまた馬車を走らせました。誰がいちばん早く西部に着いたかというと、この牧師一家だったというのです。その理由は、その他の人は一日も休まずに馬車を走らせたために、馬は怪我をしたり、馬車も故障したので、回復と修理のために多くの時間を要したということでした。そして、結局到着が遅れてしまったのです。

ある意味では、私たち日本人も西欧文化に由来することの恩恵にあずかっているとも言えます。しかし、それは西欧人が考え出したことではありません。まことの神様は生きておられて、人間が人間らしい生き方をすることを願っておられます。

休むことは本来、精神と体を休めることだけではなく、生きる意味や目的の確認の時でもありました。人は知らず知らずのうちに、何かに捕らえられやすい存在だからです。

ぜひ、教会においでくださり、聖書の教えに目を向けていただきたいと願っています。

(大泉聖書教会牧師 池田尚広)