《日本の唱歌の歴史》

唱歌や童謡は、年配の方々にとって馴染み深いものだと思います。1989年にNHKが「明日へ残す心の歌百選」を選ぶためにアンケートを実施しました。すると、68万通もの応募があったそうです。

5千以上の曲からベスト百曲が選ばれたわけですが、その百曲を時代別に分けてみると、明治23曲、大正40曲、昭和32曲だったそうです。そして、10位から1位までが次のようになりました。10位「浜辺の歌」、9位「春の小川」、8位「7つの子」。7位「荒城の月」、6位「みかんの花咲く丘」、5位「月の砂漠」、4位「おぼろ月夜」、3位「夕焼け小焼け」、2位「故郷」、1位「赤トンボ」

この10曲中、7曲がクリスチャンもしくはキリスト教の影響を受けた作詞者・作曲者によるものです。そして、ベスト百の中では、50曲以上がそれに当たります。〔池田勇人著「歌人たちの遺産」文芸社P3031より〕

日本人の心に昔から残るノスタルジアや無常観に、キリスト教的希望や愛が加わった形で、多くの唱歌や童謡が作られたと理解することができます。

キリスト教的希望については、以前「荒城の月」の作詞者、土井晩翠(どいばんすい)についても書きましたが、その歌詞の中で次の語句に「希望」を見ることができます。「かわらぬ光、誰(た)がためぞ」、「天上影はかわらねど」。土井晩翠はクリスチャンではありませんでしたが、夫人と娘はクリスチャンでした。娘の照子は27歳の時に結核で亡くなりました。しかし、その死を迎えようとする時、照子は悲しんでいる周りの人たちに向かって次のように言いました。「皆さん、私のために泣かないでください。私はこれから一足先にイエス様の、みもとに行くのですから、泣く方は廊下に出て行って泣いてください」 また、父にも天への希望に満ちたテニスンの英詩を読んでもらい、その詩を読んでもらうことを通して、永遠の希望を父に伝えたかったのだと思われます。〔大塚野百合著『賛美歌・唱歌とゴスペル』P.32参照〕

また、土井晩翠自身の次の言葉からも、昔ながらのノスタルジアや無常観ではなく「希望」や「愛」の思想を見ることができます。

(太平洋戦争が終わってしばらく経った時、知人の作家山田野理夫氏に土井晩翠が語った言葉)「日本中が荒城そのものだね。・・・衰弱している日本も、必ず春が来る。この希望を持ち、明治以来のミリタリズムを捨てて平和と人類愛を理想とすべきだろうね」(山田野理夫著『荒城の月、土井晩翠と滝廉太郎』)

百選の1位は「赤トンボ」ですが、1節から3節まではノスタルジアと無常観を見ることができます。しかし、しめくくりの最後の4節で「夕焼け小焼けの赤トンボ、とまっているよ竿の先」で終わるのです。作詞者の三木露風は何を言いたかったのでしょうか。当時、三木露風は北海道にあるトラピスト修道院で国語教師として働いていました。竿の先でとまっているという表現で、私は安住の地で安らいでいるということを言いたかったのではないでしょうか。唱歌童謡評論家の池田勇人氏は、その竿そのものがキリストの十字架を指すと言っています。

聖書の有名な言葉のひとつに次の言葉があります。「いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。」(新約聖書コリント人への手紙第一1313

西条八十(さいじょうやそ)が作詞した「かなりや」は、そのカナリヤを鳴かせるためには、ムチで打ったりしないで、象牙の舟に・・月夜の海に浮かべれば忘れた唄をおもいだす」で締めくくられています。この詩に「愛」を見ることができます。明治以後、多くのキリスト教の宣教師たちが日本にやってきました。しかし、結果的に教会に来る者は多くはありませんでした。それでも、文化の領域で、キリスト教は日本人の心の中に入ってきたと見ることができます。詩の中に流れる思想のみならず、唱歌・童謡の曲の中に流れる賛美歌の旋律においてもそのことが言えます。ちなみに、ビックカメラのテーマソングは、もとは賛美歌のメロディーです。キリスト教は、あなたにとって縁もゆかりもないと思っておられる方も多くおられると思いますが、決してそうでもありません。ぜひ、一度おいでいただきたいと願っています。お待ちしています。
     (大泉聖書教会牧師 池田尚広)