《真理はあなたがたを自由にする》

この言葉は、世界の多くの図書館の目立つ場所に掲げられていることばです。日本の国会図書館にも目立つ場所に刻まれています。ただし、なぜか日本の国会図書館では、「真理はわれらを自由にする」と、変形された形になっています。

国会図書館設立時、当時の羽仁五郎参議院図書館運営委員長がドイツ留学時に図書館で「真理はあなたがたを自由にする」ということばを見たので、その経験から似たことばが国会図書館でも掲げられたそうです。

世界の多くの図書館では、自国のことばとともにギリシャ語でも記されているので、その習慣にも倣って日本の国会図書館でもギリシャ語も別の場所に記されています。ただし、こちらは「〜あなたがたを自由にする」という意味のギリシャ文字が使われています。

一般的にギリシャ語でもこのことばが記される理由は、このことばが聖書のことばであることと、新約聖書の原語がギリシャ語であるからです。

 このことばは、イエス・キリストが語ったことばです。新約聖書のヨハネの福音書8章32節をご覧いただくと、そこに出てきています。その文脈を見ますと、決して多くの知識が人を自由にするとは言っていません。

ある人は、偉そうなことを言っていると思われるかもしれませんが、キリストは自分の語ることばが真理であると語っています。

真理についての話は別の機会にするとして、「自由」ということについて、あなたはどのような考えをお持ちでしょうか。アメリカでは、「自由」は建国以来の重要な概念となって今日に至っています。日本の年配の方々の中には、アメリカから自由の概念を基本とした個人主義思想が入ってきたので日本も悪い影響を受けてしまったと考えている人たちがいます。つまり、西欧の影響でみんな自分勝手になってしまったと思っている人たちがいます。

西欧では、神のまえに責任ある個人の言動や行動ということが個人主義の前提にありますが、日本に個人主義を紹介した日本の知識人は神の概念を削除して紹介しました。つまり、神のまえでの自己責任の要素が取り除かれた形で紹介されました。最初から、日本において「個人主義」は「自分勝手」に流れてしまうような状況にあったわけです。

「自由」と一口に言っても、ある程度その概念を定義してからでないと、誤解を生じる可能性もあります。ただし、「解放」という要素は、どのように「自由」を定義しようが入ってくる要素です。イエス・キリストは、あなたがたは解放が必要だと語っています。たとえば、優越感・劣等感というような感情、自分は人からどう思われているかが行動の基準となっていること、赦せない思いや、罪責感など、そのようなものからの自由を聖書は語っています。

ぜひ、教会においでくださって、聖書を正しい解釈のもとで学んでいただきたく願っています。教会ではあなたのおいでをお待ちしています。(大泉聖書教会牧師:池田尚広)