《長期的な視点》

 キリスト教の経典は聖書ですが、最近出版された本に「ミリオネア・バイブル」(金持ちの聖書)というのがあります。その副題は、「お金持ちにはなぜ、お金が集まるのか」となっています。この本は鳥居祐一という人が書いていて、この方は実際に経済的に成功していると共に、コンサルタントとしても活躍をしています。その本の中には、成功者となるための多くのことが語られていて、その一つに、「自分がしてほしいことを相手にしてあげる」というのがあります。それから、「報酬や見返りを期待しないほうがうまくいく」というのもあります。

 実は、キリスト教の経典である聖書には「何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。」というのがあります。これは、人生の黄金律とも言われます。また、「あなたは、施しをするとき、右の手のしていることを左の手に知られないようにしなさい。」というのもあります。その意味は、相手に良いことをしてあげたということを記憶にとどめないという意味で、見返りを期待しないということです。

 聖書のことばは、決して古い時代だけに通用していたものではありません。現代は、ボヤボヤしていたら不利な立場に立つこともあり、何事でも有利に見えることに対して、われ先にと突進して行くような社会でもあります。そのような考えが家庭の教育にまで浸透していて、「自分がしてほしいことを相手にしてあげる」ことを、子どもに教えることなどは眼中にないという親御さんが多いのではないでしょうか。しかし、何事でも長期的な視点が必要です。とにかく他人に与えることなどは一切せずに富をつかむことも可能ですが、そのような人の富の所有が長期的に続くかといったら必ずしもそうではありません。前掲書の著者は、自分の経験と他の多くの成功者たちの統計から、まえに挙げた二つのことを語っています。

 現代は、莫大な情報が瞬時に世界を駆け回る世界です。誰々がうまくやったとか、こうやったら儲けたとか、そのような情報が世界を駆け回っています。このような世界の中では、正しいことや当たり前のことを普通にやっていくことだけでも、多くの困難を経験しなければなりません。ですから、ある会社の社員教育でも、当たり前のことを毎日社員全員で唱えているところもあります。会社で唱えることは、経営や物作りに対する姿勢が主でしょうが、私たちの人生についても、当たり前のことを毎日唱えるというような姿勢が必要ではないでしょうか。

当たり前のことを当たり前とし、長期的な視点を失わず、「自分がしてほしいことを相手にしてあげる」ことなどを実直に行っていくには、自分の上にある存在を信じることが大いに助けになります。会社では、上の立場の人が決めたことをしなければならないので、当たり前のことを毎日唱えることが決められたなら、しぶしぶでも行わなければなりません。しかし、それは自分のためにも大いに役立っているはずです。人生の日々の歩みについても、そのような上の存在が必要ではないでしょうか。

 神を信じ、神のことばを日々思い出して歩むことは、大いに助けになります。そして、実際に長期的な益をもたらすはずです。また、聖書のことばを納得がいく形で理解していただくためにも、ぜひ教会に一度、おいでいただきたいと願っています。

 益になることは取り入れたいけど、神を信じることはしたくないという思いを持つことがあるかもしれません。神を信じるということは、自分の全存在を神の権威の下に置くということですから、たやすくできることではありません。ですから、そのように思うことは自然な感覚ともいえます。益になることを取り入れたいということでもかまいませんので、興味を持ってくださる方はご連絡いただきたいと思います。当教会では、そのような人だけが集う定期的な集会はありませんが、必要に応じて個人的に簡単な学びの時を持っています。ご連絡いただければ、牧師の都合と折り合いをつけて、可能な時間に簡単な学びの時を持つことができます。ぜひ、何なりとご連絡いただきたいと思っています。また、子どもの集会を土曜日の午後1時30分から行っています。ぜひ、お子さんをお連れください。

 教会ではあなたのおいでお待ちしています。

(大泉聖書教会 牧師池田尚広)

〔引用〕

新約聖書マタイ福音書7:12

    〃     6:3

鳥居祐一 青春出版社 

  「Millionaire Bible

 お金持ちにはなぜ、お金が集まるのか」

p.70より