《自立と失敗》

 どのように子どもを育てたらよいかということに、無関心な親はほとんどいません。みんな、いっしょうけんめいです。子どもが、先々困ることのないように、前もって字を習わせたり、算数を習わせたり、親はいっしょうけんめいにやっています。そのような学習的なことの他にも、周りの子が持っていて、自分の子が持っていない物があるとかわいそうだからと、その子がまだ欲しいと言わないうちに、これから欲しがるであろう物を買い与えている場合も多くあるようです。

親のそのような態度が行き過ぎてくると、子どもが自分の起こしたことの結果の責任を取らなくなります。聖書の中には、当時の聞く人がわかりやすいように農業で使うことばが多く使われています。その中で、「刈り取り」ということばがあります。当時は、麦の種類の中に毒麦というものがあったらしく、いわゆる悪い種がありました。「人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります」注()という聖書のことばの背景には、良い種を蒔けば、良いものを刈り取り、悪い種を蒔けば悪いものを刈り取るという内容があります。子どもが悪い種を蒔いた場合は、自分で刈り取らせる習慣をつけなければなりません。しかし、親がいつも先回りして子どもに関わっていると、子どもは自分が蒔いた悪い種の刈り取りも、親がしてくれるものだと思ってしまいます。子どもの良くない行為に対して、親は小言を言ったり、怒ってはいますが、その刈り取りは親自身がしてしまうケースが多いようです。ある本に次のようなことが書いてありました。「親は子どもに自分の行いの当然の結果を刈り取らせる代わりに、しばしば怒鳴ったり、口やかましく小言を言ったりします。愛をもって限度を与え、暖かさをもって結果を刈り取らせる育児をするなら、子どもは自分の人生を管理しているという実感を持ち、自信のある人間に育つでしょう。」注()

 その刈り取りとは、単に、食事中に何かをこぼした時に自分で掃除をさせるというようなことを言っているのではありません。それは、たとえば子どもに対して親は最初から口うるさく言わず、勉強をしない時の結果を自分で刈り取らせるとか、忘れ物をした時の結果を自分で刈り取らせるようなことです。そこには、確実に、他の子どもから遅れを取るという結果がついて来ます。それでも、その子が自分の人生を自分で管理しているという実感を持ち、結果的に自信のある人間に育つためには、親のそのような態度は必要不可欠です。

 良い親は、子どもに刈り取りをさせるものですが、実は神様も私たちに対してそうなのです。いろいろな人と話してみて、よく語られることに、神がいるなら、なんで世界の中で争いがあるのかということがあります。人と人との争いで、尊い人命が奪われることはかわいそうなことです。しかし、人が次の大きな争いを避けるために、その前の刈り取りをして学んでおく必要もあるのです。子どもが学校に行く時に忘れ物をして、困った経験を積むことによって、その子が将来社会に出た時には忘れ物には注意するようになるものです。ほんとうは、世界の中に何も争いが起きないことが理想であり、私たちはそのように最善の努力をすべきですが、人は失敗をしてしまうものです。そして、失敗をしてはじめて学ぶことが多くあるものです。

 旧約聖書の創世記の中に、神は人を神のかたちに創造したと書いてあります。「神のかたち」とは、英語の聖書で「Image of God」となっているように「神のイメージ」のことです。そのように造られた人間は、神のロボットではありません。人間は、みずからの人格を持ち、みずから考え、みずから行動する存在です。親がいつも先回りして、何かを与えてくれる子どもは、自分で物事を深く考えることができなくなります。また、結果を自分で負おうという責任感が乏しくなります。世界情勢の中で、先回りして何かを行う神がいないからといって、神の存在を否定してはいけません。

 では、神は結果的に存在しないことと同じことではないかと考えてもいけません。良い親が子どものことをほんとうに思っているように、神も私たち一人ひとりのことをほんとうに思っています。そして、良い人生を歩んでほしいと思っています。良い人生の第一歩は、生きていることが偶然ではないと認めることです。聖書のある箇所に「あなたが私の内臓を造り、母の胎のうちで私を組み立てられたからです」(注3)ということばがあります。あなたは、あなたの両親の単なる生殖の結果ではありません。(子どもが欲しくても生めない人もいます)。あなたの存在の背後には神の意思があります。その他、神はあなたに認めてほしいと願っていることが多くあります。ぜひ、教会でそれらについて学んでいただきたいと願っています。教会ではあなたのおいでをお待ちしています。(大泉聖書教会牧師池田尚広)

〔注1〕新約聖書ガラテヤ6:7後半

〔注2〕ヘンリー・クラウド、ジョン・タウンゼント共著

   『境界線』(バウンダリーズ)地引網出版p.63

〔注3〕旧約聖書詩篇139:13