《賛美と信仰》

海外へ渡航経験のある方はご存じだと思いますが、飛行機で外国の空港に着陸するまえに入国手続きのためのシートが配られます。特に中東などの空港に到着する時には、自分の宗教を書く欄があるということです。ある人は、イスラム教が他宗教を目の敵(かたき)にしているというイメージを持っているかもしれません(他宗教を目の敵にするのはイスラム過激派だけです)。しかしこの場合、いちばん警戒されるのが無宗教の人だということです。無宗教の人は自分を律する何も持っていないので、何をするかわからないから危険だというのが理由だということを、ある雑誌で読んだことがあります。ですから旅行代理店などは、日本人はいちおう仏教という人が多いので、中東への旅行者に「仏教」の項目をチェックするように勧めているという話を聞いたことがあります。私たちはこの日本という島国の中で物事を考えていますが、私たちの常識は必ずしも世界のどこでも通用する常識ではありません。

ところで、インドネシアという国についてどのようなイメージをお持ちでしょうか。インドネシアは日本の約2倍の人口があります。日本の外務省のホームページには、イスラム教徒87.21%、キリスト教徒9.87%、ヒンズー教徒1.69%、仏教0.72%、儒教0.05%、その他0.50%という宗教人口の統計が出ています。これを見ると、いわゆる無宗教の人は誰もいないという感じを受けます。

私たち日本人は、弱いから宗教に頼るのだという考えを持っている人がひじょうに多いわけですが、このような考え方を持っている人は世界では少ないように思われます。たとえば、アメリカのプロ野球リーグ(MLB)の試合で、ヒットを打った時などに神に感謝をするポーズをする選手が多く見かけられます。

たとえ、その行為が単なる習慣的なものになっていたとしても、神に頼る者は弱いという考えを持つならば、その行為を続けることはないはずです。欧米や中南米の多くの人が、信仰に熱心というレベルではなくなってきていますが、しかし日本人のように弱い者が神に頼るという考えを明確に持っている人は世界では少ないのではないでしょうか。

 ところで、インドネシアに長期滞在したことのある牧師が自身の著書の中で次のように書いています。「日本人にとって、『信仰』と言えば、逆境、悲しみ、という連想がかなり強いようです。信仰をしていると聞くと、『どんなにつらいことがあったんだろう』という思いが多くの人々に浮かびます。信仰と悲しみを結びつけるような状況の中で、どうして豊かな賛美が育つでしょうか。」(※1

 この文章は、インドネシアのキリスト教会の礼拝が明るい賛美(賛美歌を歌うこと)に満ちていて、信仰と悲しみを結びつける日本人とは前提が違うことを表現しています。アメリカの黒人教会の集会でゴスペルが元気に歌われている様子をテレビで見たことがある人は多いと思います。信仰とは、そもそも悲しみや苦しみだけと結びついているものではないことは、このことからもわかります。

 では、なぜ日本人にとって信仰と苦しみが結びついてしまったのでしょうか。それはやはり、弱い者が神に頼るという考えが元になっていると思われます。そのような状況のもとでは、信仰を持つ人の多くが苦しみや悲しみに負けた人ということになります。

 日本のキリスト教会の中には、試練が原因で教会に来た人もいますが、必ずしもそのような人だけではありません。海外での生活を通して信仰が普通のものであることを体験し、日本に帰ってきてキリスト教会に来たという人もいます。また、単に興味があったという人もいれば、代々クリスチャンで信仰が当たり前だったという人もいます。ぜひ、教会に足を運んでくださることを願っています。〔大泉聖書教会 牧師池田尚広〕

(1)入船尊著「続この大いなる福音のために」いのちのことば社P.38

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