《宗教エリート主義》

世界には私たちの想像を超える大富豪がいるものです。

アメリカの大富豪といえば、誰を思い浮かべるでしょうか。資産が約6兆円あると言われているビル・ゲイツ氏は、10年以上アメリカの長者番付で1位を続けています。しかし、そのビル・ゲイツ氏でさえ、アメリカの歴史の中では5番目の資産額だそうです。では、歴代1位は誰かといえば、ジョン・D・ロックフェラーです。ロックフェラー氏が築いた資産は現在の貨幣価値になおすと20兆円以上になるということです。

ロックフェラー氏は、特に母親から聖書を基本とした教育を受けました。彼は幼い頃から毎週日曜日に教会に行き、集会が始まるまえに廊下などの掃除をし、そして、聖書を学んだということです。彼は母親を通して、働くこと、節約、そして教会への奉仕をすることの大切さを学びました。特に、彼は母親から次の三つを守るように教えられました。

@収入の10分の1の献金を捧げること。

A教会に行ったら、一番前の席に座って礼拝を捧げること。

B教会に素直に従い、牧師を悲しませないこと。

彼はどれも忠実に守りました。@の約束に関係することですが、入ってくるものが多いほど出ていくものも多いということは、誰でも知っていることだと思います。ですから、けっこうお金持ちほどケチになる傾向もあります。しかし、彼は収入が多くはない時から忠実に約束を守り通しました。それで、教会は多くの慈善活動や宣教師派遣をすることができました。また、ロックフェラー氏は個人的にも多くの慈善活動や寄付活動を行ったことは知られています。

 ところで、私たち日本人の心の中には、正しい宗教は禁欲や清貧を勧めるはずだという考えがあるように思います。そのような前提がある中で信仰を持つということは、「修行」に興味を持つ特別な人ということになります。私たちの教会に来ている若い人が、教会に通っている様子を見た人から「若いのに偉いわね」と言われたそうです。ということは、信仰を持つとか宗教に関わるということを極端に表現すれば、修行僧の仲間入りをするような感覚で見られているということです。

日本の社会においては、宗教とはすなわち、修行僧のような「宗教エリート」のものであるという考えがあるように思います。先月号で、宗教とは弱い者が頼るものであるという考えが日本にあるのではないかということを書きました。つまりそれは無神論から来るものですが、無神論と宗教エリート主義の両方があるように思います。そして、もう一つあるのが御利益主義です。日本人の場合、この三つを頂点とする三角形の中のどこかにいるパターンが多いのではないでしょうか。

キリスト教の経典は聖書ですが、聖書にはお金は汚いものだという発想はありません。ただし、お金を愛してはいけないという言葉はあります(1)。愛するとは、ある対象を自分の命に近いぐらい価値があるものとすることです。ところで、ロックフェラー氏についてですが、製造委託会社の簿記助手という立場から大事業家になったわけですから、本人に能力があったことは確かです。得たものをどのように使うかで、その人がお金を愛する者か、そうでないかが決まります。

人間誰しも、何かがその人の神になっているものではないでしょうか。ある人にとってはそれがお金であり、ある人は名誉であり、ある人にとっては周りの人の言葉です。また、ある人にとっては修行それ自体が神となる場合もあります。

何かがその人の神となるのであれば、私たち一人一人に命や能力をそれぞれの両親を用いて授けてくださり、あなたのすべてを知っており、あなたを大事に思っておられる存在(神)を認めることが、何ものからも自由とされる生き方となります。信仰は修業ではありません。ですから気楽に教会においでください。〔大泉聖書教会 牧師池田尚広〕

(1)新約聖書ヘブル人への手紙13:5)

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