《ライオンと魔女》

「ライオンと魔女」という文学作品をご存じだと思います。詳しく知らなくても、タイトルだけでも聞いたことはあるという人は多いのではないでしょうか。「ライオンと魔女」は、ナルニア国物語の七部作のうちの最初の作品として世界的に有名です。

映画としても2005年にディズニー映画が最新の技術を使って映画化をして、世界中で多くの観客動員数を記録しましたので、ご覧になった方も多いのではないでしょうか。(映画タイトル:ナルニア国物語/第一章:ライオンと魔女)

この作品は、C.S.ルイスというイギリス人の児童文学者によって書かれました。ルイスは、いろいろな顔を持つ人で、ケンブリッジ大学の中世英文学教授であり、キリスト教の弁証家として当時のラジオ番組で聖書の教えを論理的に説明する人でもありました。

聖書の中心的なメッセージは、キリストはどのような存在であり、何のために十字架にかかったのかということですが、ルイスは子どもにもわかるように「ライオンと魔女」を通してその内容を語りました。

その作品の中で、ライオンはイエス・キリストを表現しています。魔女は悪魔を表現しています。

また、作品が表現している氷に閉ざされた世界は、人間の善意や努力ではどうしても変えることはできない状況を示しています。また、その世界は人間自身が招いた世界でもありました。

 ライオンは王として立場を持った存在ですが、キリストもそのような立場を持った存在です。聖書は、キリストを「神の子」として表現していますが、聖書において「父なる神」と「神の子」は同等の存在です。

「ライオンと魔女」という文学作品の中で、王であるライオンがあえて犠牲となる意味について、あまりピンと来ないという人も多いかもしれません。この点について、法廷での裁判を想像していただくとわかりやすいと思います。もし、誰かが罪を犯したにも関わらず、その件についての裁判で他の人の犯罪とされて結審した場合、もはやその件について裁判はされないという法則があります(一事不再理)。

 ライオンの罪でもないのにライオンが罰せられたことによって、問題の張本人である人間たちの罪は贖われ、世界が変えられるということをルイスは作品の中で描いています。これがキリストが十字架に架かった意味であったので、ルイスは子どもたちが明確にわかるように表現しました。

 もちろん、実際の犯罪については真犯人が正しく裁かれなければなりません。しかし、世界を不幸にしているのは、犯罪に類する罪だけではなく、自己中心や差別や度を越した欲などが原因である場合のほうが多いのではないでしょうか。また、私たちは後になって振り返ってみて、「何であんなことにこだわっていたんだろう」と反省するようなこともあります。無意味なこだわりや偏見などが人を不幸にすることもあります。以上のことを聖書は「罪」と呼んでいます。

 すべてを見ておられる神のまえで、ある程度の善行が罪を帳消しにできるのではなく、神の子の犠牲だけが人間の罪を贖うことができるというのが聖書のメッセージです。そして、その役割を終えたあとで、神の子は死からよみがえったことを祝うのがイースターです。教会では、あなたのおいでをお待ちしています。〔大泉聖書教会 牧師池田尚広〕

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