《明治維新の指導者たち》

今、大河ドラマで「西郷どん」をやっていますが、幕末から明治初期は政治の仕組みの刷新だけではなく、思想信条においても転換期でした。その時代は、約300年続いた江戸幕府は崩壊し、主君に忠誠を尽くす生き方から何に忠誠を尽くす生き方をすべきかが問われた時代でもありました。西欧思想とキリスト教は深い関係がありますが、以下に記す日本の指導者たちも、キリスト教の直接的あるいは間接的な影響を受けた人々でした。

慶応義塾の創始者である福沢諭吉が記した「ひびのをしゑ」(日々の教え)という児童向きの冊子があります。その中で福沢は「天」とは西欧ではGOD(ゴッド)というもので、万物の創造者であって、このゴッドの御心(みこころ)に従って生きなさいと子どもたちに勧めています。また、「学問のすすめ」の中で、「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず、と言えり」と書いていますが、この「天」はゴッドを意味すると解釈できます。

大隈重信は現在の早稲田大学の前身である「東京専門学校」の創始者ですが、若き日にフルベッキという宣教師から新約聖書を学び一番の成績をとっています。洗礼は受けませんでしたが、聖書の教えは生涯に渡って彼に影響を与えました。新島襄から「京都にキリスト教主義の大学を造りたい」というビジョンを聞いた時、外務大臣という地位を利用して時の大財閥を集め、新島にそのビジョンを語らせています。また、大隈は東京専門学校(早稲田大学)の学内でも宣教師が伝道活動することを積極的に奨励し、明治の末に日本でキリスト教日曜学校世界大会が開かれた時、その大会会長に就任しています。(以上、守部喜雅著「西郷隆盛と聖書・敬天愛人の真実」(フォレストブックスP94-95より)

 日曜学校とは、日曜の朝に礼拝が始まるまえにキリスト教会で行われていた子どもや学生たちのための集会を指しますが、日本でも昔は多くの子どもたちが集っていたものです。

ところで、現代はテレビでもネットでも、日本はすばらしいという趣旨のコンテンツが流されることが多くなっているように思います。そして、その考えと日本の多神教思想を組み合わせて、多神教はすばらしいということを言う人がいます。

一神教が良いとか多神教が良いとか、そのようなことを議論しても、不毛な議論で終わります。ただ、日本人の思想の背景には一神教的思想もあるのではないでしょうか。たとえば、日本人は高い倫理観を持っていますが、その背景には至高な存在を意識する思いがあるように思います。つまり、すべてを見ている存在(神)に対する意識があるように思います。そのすべてを見ている存在は、商売の神とされるエビス神や厄除け(やくよけ)の神などとは何のつながりもないはずです。私たち日本人は、決して多神教思想だけを持っている民族ではないと思います。

福沢諭吉はゴッド(神)がすべての人の価値を等しく造ったことを学びました。それは、「天は・・・と言えり」という表現からも伺えます。また、その考えと民主主義思想とは深い関係があると理解していました。実際、民主主義思想はアジアやアフリカの多神教世界から生まれてはいません。また、民主主義思想は単なる一神教思想から出たのではなく、聖書を通して生まれました(1)

一神教と多神教の比較やいろいろなニュースを聞いてキリスト教を判断するのではなく、あなた自身がキリスト教の経典である聖書に向き合ってくださって判断していただきたいと願っています。維新の指導者たちが聖書から多くの益を得たように必ず何かの益となることがあると思います。教会ではあなたのおいでをお待ちしています。

〔大泉聖書教会 牧師池田尚広〕

(1) 新約聖書・使徒の働き17:26など参照

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