《明治維新の指導者たち》U

今、NHKの大河ドラマで「西郷どん」をやっていますが、西郷隆盛が記した有名な言葉に「敬天愛人」があります。

静岡学問所という場所で教師をしていた中村正直という人物から教えを受けた薩摩藩士最上五郎から、西郷は「敬天愛人」の思想を伝えられたと言われています(中村はキリスト教を要約した言葉として「敬天愛人」を語りました)。

当時、すでに西郷は漢訳(中国語)聖書を読んでいたことが明らかになっています。土台がすでにあったので、「敬天愛人」の思想も心に深く入ったのではないでしょうか。

中村正直についてですが、英国留学から帰ってきてキリスト教の入信の儀式である洗礼を受けて、明治天皇にも洗礼を受けることを勧めた人物として知られています。

ところで、西郷隆盛がとった行動の中には「敬天愛人」を具現化したような行動がいくつかあります。会津戦争が会津藩の降伏という形で終わった時、会津藩や庄内藩の藩士たちは切腹を覚悟しました。その時、西郷は敵であった彼らに対して「切腹して詫びるなどとんでもない」と言って、彼らの行動を押しとどめました。

さらに、西郷は「貴藩は北国の雄藩じゃ。ロシアからの攻撃に備えてもらわねばいけもはん。武器はそのまま、お持ちいただければよか」と語りました。

(以上、守部喜雅著「西郷隆盛と聖書・敬天愛人の真実」(フォレストブックスP65-6778参照)

中国の古来の思想にも「天」という言葉はありますが、それは世界の法のようなもので非人格的なものです。しかし、西郷は「天」という言葉を、意思を持った存在として理解していました。

また西郷は、人を愛することと人を(ゆる)すことを関係づけていたことがわかります。それは聖書をすでに読んでいたからこそ取ることができた行動ではないでしょうか。

聖書の中には愛の定義がいくつかありますが、その中で人を赦すという要素があります。一般的に愛するとは、「大切にする」とか、「親切にする」というイメージを持つ人は多いと思いますが、人を赦すというイメージを持つ人は少ないかもしれません。「人のした悪を思い続けない」(1)ということが愛することの要素として聖書に記されています。また、イエス・キリストも人の罪を赦すべきことを多くの箇所で語っています。

ところで、「赦す」ということを語りますと、悪人がますます悪くなるという人がいます。悪は正しく法にのっとって裁かれなければなりません。誰かから被害を受けて、そのままにしておくのは赦すということではありません。被害を受けたのであればその事実を公にすべきです。「赦す」というのは、たとえば憎しみを持ち続けないことであり、悪を思い続けないことです。被害の種類によってはなかなかできない場合もありますが、憎しみを持ち続けることは本人の性格も暗くします。「赦す」ことは、本人のためにもなることです。

ところで、「敬天愛人」を明確に示している聖書の箇所は次の部分です。

「イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』これがたいせつな第一の戒めです。 『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。」(マタイ福音書22:37〜39))

 自分自身を愛するということが無視されていては、人を愛することも絵空事となります。聖書は合理的な言葉で成り立っています。ぜひ教会においでくださって正しい解釈のもとで聖書の言葉に目を留めていただきたいと願っています。おいでをお待ちしています。

〔大泉聖書教会 牧師池田尚広〕

(1)新約聖書・Tコリント13:5

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