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新約聖書 
使徒の働き23:1〜10

「死者の復活の希望」


23:1 パウロは議会を見つめて、こう言った。「兄弟たちよ。私は今日まで、全くきよい良心をもって、神の前に生活して来ました。」
23:2 すると大祭司アナニヤは、パウロのそばに立っている者たちに、彼の口を打てと命じた。
23:3 その時、パウロはアナニヤに向かってこう言った。「ああ、白く塗った壁。神があなたを打たれる。あなたは、律法に従って私をさばく座に着きながら、律法にそむいて、私を打てと命じるのですか。」
23:4 するとそばに立っている者たちが、「あなたは神の大祭司をののしるのか。」と言ったので、
23:5 パウロが言った。「兄弟たち。私は彼が大祭司だとは知らなかった。確かに、『あなたの民の指導者を悪く言ってはいけない。』と書いてあります。」
23:6 しかし、パウロは、彼らの一部がサドカイ人で、一部がパリサイ人であるのを見て取って、議会の中でこう叫んだ。「兄弟たち。私はパリサイ人であり、パリサイ人の子です。私は死者の復活という望みのことで、さばきを受けているのです。」
23:7 彼がこう言うと、パリサイ人とサドカイ人との間に意見の衝突が起こり、議会は二つに割れた。
23:8 サドカイ人は、復活はなく、御使いも霊もないと言い、パリサイ人は、どちらもあると言っていたからである。
23:9 騒ぎがいよいよ大きくなり、パリサイ派のある律法学者たちが立ち上がって激しく論じて、「私たちは、この人に何の悪い点も見いださない。もしかしたら、霊か御使いかが、彼に語りかけたのかも知れない。」と言った。
23:10 論争がますます激しくなったので、千人隊長は、パウロが彼らに引き裂かれてしまうのではないかと心配し、兵隊に、下に降りて行って、パウロを彼らの中から力ずくで引き出し、兵営に連れて来るように命じた。

1.        序論。

日本は若者の自殺率が高い国ですが、夏休みが終わる頃は特に高くなるそうです。人格を否定するような「いじめ」が学校であって、夏休みが終わりまた行かなければならないので心が重くなって命を絶つのだと思います。

欧米ではデス・エジュケーションという学びが普通の学校であり、人間は必ず死ぬものだという主旨の学びをするようです。欧米での自殺率が日本のようには高くない一つの理由として、「人間はいずれ必ず死ぬ」ということを教えていることが、死に急ぐことの防波堤になっているということもあるのではないでしょうか。


2.議会での出来事。

パウロは、ユダヤの議会で「私は死者の復活の望みのことで裁きを受けている」と叫んでいます(ユダヤの議会は宗教裁判所でもあった)。当時のユダヤ社会は死とか死後の世界ということの関心が高い社会でした。

ただし、サドカイ派の宗教家たちは裕福だったせいか、死後の世界を信じていませんでした。それで死者の復活を信じているパリサイ派との議論が白熱して裁判は中止されました。まかり間違えば、パウロは死刑にされたかもしれませんが、神から知恵が与えられてその場を逃れることができました。(裁判の主旨はパウロが異端的教えを語っているということだった)


3.        復活の希望と生きる力。

いじめられている若者にとって一番つらいのは、無視されることだそうです(いじめ経験者のあるタレントによると、親がいないことや、貧乏なことよりもそれが一番つらいことだったと語っていました)。パウロはこの場で一人で勇敢に戦っていますが、神が共にいるという安心感がありました。つまり、彼は一人ではありませんでした。

現実の世界でも死後の世界であっても、イエスを信じる者には主(神)が共におられるのです。その確信が生きる力となります。またその確信は、現実の状況を客観的に見ることを可能にするのです。キリストの救いに感謝し、その救いを感謝し伝えていきましょう。