《八木重吉の信仰》

八木重吉という名前を聞いたことがあると思います。八木重吉は日本を代表する詩人のひとりです。

八木重吉の詩に『万象』という詩があります。  

  万象

人は人であり 草は草である 

松は松であり 椎(しい)は椎である

おのおのの栄えあるすがたをみせる

進歩というような言葉にだまされない

懸命に、無意識になるほど懸命に、

各々自らを生きている

木と草と人と栄えを異にする、

木と草はうごかず 人間はうごく、

しかし うごかぬところへ行くために

うごくのだ、

木と草には天国のおもかげがある

もううごかなくてもいいという

その事だけでも天国のおもかげを

あらわしているといえる

            八木重吉

この詩は、自然の神秘そのものを讃えているのではなく、神によって造られたものとしての栄光を木や草は素直に現していることを歌っています。

八木重吉は師範学校の学生だった時にキリスト教会に通い出しました。そして、21歳の時に入信の儀式である洗礼を受けています。29歳の時に結核で亡くなるまで、八木重吉は信仰的な詩を多く書きました。

ところで、『万象』の中のことばの「うごく」には、深い意味が隠れているようです。そのことについて、ぜひ考えてみていただきたいと思います。また、別の八木重吉の詩を裏面にて紹介させていただきます。裏面をご覧ください。



キリスト

キリストが十字架にかかって死んで

蘇って(よみがえって)天に昇ったので

私も救われるのだと聖書に書いてある

キリストが代わって苦しんだので

私は信じさえすればいいと書いてある

私はキリストがすきだ

いちばん好きだ

キリストの云った事は本当だとおもう

キリストには何もかも分かっていたとおもう

キリストは神の子だったにちがいない

キリストは天に昇ってからも

絶えず此の世に働きかけているとおもう

ポーロ(パウロ)の言葉 使徒の言葉

すぐれたる使徒の言葉

それ等は

キリストが云わせたのだと信ずる

そう云うことの出来ぬほど

キリストが無能な者だとはおもわれぬ

再びキリストが来る

キリスト自身がそう云っている

キリストが嘘を云う筈がない

そのとき

私自らは完全に悪い人間だけど

ただキリストを信じている故にのみ

天国に入れてもらえると信じる

             八木重吉

もうすぐクリスマスです。クリスマスは、Christmasと書きますが、キリスト(Christ)の祭り(Mas)という意味です。何を祝うかというと、神の御子が人を救うために地上に人となって来たことを祝います。キリスト教における救いは単純です。その事実を信じればよいわけです。しかし、「自分はそこまで単純になれない」という人が多いわけですが、そのことばには、ある種の高慢が含まれていると八木重吉が生きていたら言うのではないでしょうか。

ぜひ、クリスマスには教会においでください。教会ではあなたのおいでをお待ちしています。

(大泉聖書教会 牧師池田尚広)

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