《日曜学校》

「日曜学校」という言葉を聞いたことはあるでしょうか。

明治から昭和にかけて、各地のキリスト教会では日曜日の早い時間に日曜学校をおこなっていました。

「ちびまるこちゃん」というマンガの中でも、クリスマスに日曜学校のクリスマス会に行くような映像があったように思います。

この大泉聖書教会でも、今から30年ぐらいまえのクリスマスには100名近い子どもたちが集まったと聞いています。現代は宗教全般に対して警戒感が強い時代になりましたが、昔はキリスト教について詳しくない人であっても、抵抗感なくお子さんをキリスト教会におくってくださった時代でした。

早稲田大学の創立者の大隈重信はクリスチャンではありませんでしたが、明治の末に日本でキリスト教日曜学校世界大会が開かれた時、その大会会長に就任しています。当時、キリスト教会がおこなっていた日曜学校は、ある程度世間に認められていた存在でした。

ただし、日曜学校に一回でも行ったことがあるという人の比率は5%にも満たなかったのだと思います。それぐらいの比率だったので、オウム真理教が起こした事件以後、キリスト教会に対しても警戒感を持つ人が増えたと考えています。

さて、現代では子どもの躾(しつけ)についても学校の先生任せで、先生の業務が増えて精神的に問題を抱える先生が増えたと聞いています。昔は、親だけではなく日曜学校を含めた地域社会が、子どもの倫理観を支えていました。

現在山形県米沢市にある教会の牧師田中信生という人が昔、東京の下町の教会で日曜学校以外の時間にも子どもたちを教えていました。その時の話を田中牧師の講演で聞いたことがあります。

 ある三人の男の兄弟がいました。上のお兄ちゃんは次郎君という名前だったそうです(なぜ一番上が次郎という名前だったのか、わかりません)。お父さんとお母さんはダンボールなどを集める仕事をしていたそうで、家に帰るのはいつも遅かったということです。両親が帰ってくるまで、弟たちの面倒を見るのが次郎君の役目でもありました。今のようにテレビゲームなどない時代ですから、両親が帰ってくるまで暇です。当時、田中牧師が教会の中で集会を開いていたのか、それとも外で語っていたのかわかりませんが、子どもたちを集めてわかりやすく聖書の話をしていました。そこに次郎君は暇なので二人の弟を連れてよく来ていたそうです。

聖書の中に、「もし私たちが互いに愛し合うなら神は私たちのうちにおられ、・・」(1)という言葉があります。子どもたちに語る時、難しいことを語ってもわかってもらえないので、田中牧師は「私たちがちょっと損をするなら、私たちは神に出会うことができる」というふうに語ったそうです。次郎君はその言葉を覚えて家に帰りました。両親が仕事を終えて帰るまでの時間はお腹がすく時間です。次郎君は小麦粉に水と砂糖を入れてホットケーキをいつも作っていましたが、自分の分を少し大きめに取るのでいつも喧嘩でした。しかし、その言葉を聞いて帰った時に自分の分を少し小さく取りました。最初、弟たちは警戒していたそうですが、ある日、すぐ下の弟が「兄ちゃんの分は少し小さいから僕のをあげるよ」と言って、自分の皿から次郎君の皿にホットケーキの切れ端を置いたそうです。それを見ていた一番下の弟が、口にくわえているものを少しちぎって同じようにしたということです。何度も集会に来ていたので田中牧師にその経緯を話したのだと思います。

今の時代は親がしっかりとした価値観を持って自分の子どもに伝える時代だと思います。教会では、あなたのおいでをお待ちしています。〔大泉聖書教会牧師 池田尚広〕

(1)新約聖書第一ヨハネの手紙 4:12                               

                                                                             

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