新約聖書 Uコリント7:10
「神のみこころに沿った悲しみは救いをもたらす」
1. 世の悲しみ
「世の悲しみは死をもらします」とありますが、世の悲しみとは何でしょうか。たとえば、それは他の人が持っている物を持っていないとか、自分の家族の誰かが世の中の人が考えるいわゆる普通の状態ではないことで悲しんでいる状況などがそれに当たります(「死」とは生きていても死んだような状態であることや永遠の死を意味します)。
また、現代社会は「困難」や「辛い経験」は悪であると決め込んでいる傾向があるように思います。しかし、困難を通ったことで忍耐を知ったとか、病気をしたことで健康に感謝できるようになったとか、そのようなことがあるわけですから、辛い経験は必ずしも悪ではなく善に変わる可能性もあるわけです。辛い経験は悪だと思い込んで、悲しんでだけいるなら「死」がもたらされることになります。
2. 神のみこころに沿った悲しみ。
主イエスは「悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです」と語りました。つまり、良い悲しみもあるわけです。それが神のみこころに沿う悲しみということになります。
当時、コリント教会の信徒の中で、町の汚れの影響を受けて不品行な行為を行っている者もいました。また、当時は話がうまい巡回教師などがいて、その人たちと比較して指導者のパウロを批判するような人もいました。
パウロは、この手紙のまえの手紙などで信者たちを諭したので、それで悔い改めた者たちもいたのです。この手紙はその後で書かれたものです。
10節を逆から見れば、神のみこころに沿った悲しみを持たなければ救いはないということになります。すべての人は、神がみこころとしていることと自分が重要と考えているものにズレがあることを悲しむべきです。神は、そのような悲しみを持ち、救い主キリストのもとに来る者を救ってくださるのです。そして、それは罪の贖いということのみならず、私たちの日常の歩みにおいても成り立つことです。すなわち、このままではいけないと思うようなことがあるなら、神のまえに思いを変えて新たな行動を取る者を神は助けてくださるのです。