《作家三浦綾子さんのこと》

作家の三浦綾子さんをご存じでしょうか。三浦さんは朝日新聞の連載小説募集において『氷点』で入選(1964)したことをきっかけに、作家としての人生を始めました。この小説はその後、朝日新聞社から本として刊行されただけではなく、何度もテレビドラマ化されたことでも知られています。

三浦綾子さんの講演の言葉をまとめた本がありますが、その中で三浦さんは次のように語っています。「私には、自分が作家であるという意識はほとんどありません。私は『なぜキリスト教に関した小説を書くのですか』とか、『聖書の言葉がよく出ますね』と言われますけれども、小説を書くつもりでというよりは、キリストの愛を伝えたくて小説を書いているのです。私がもし歌を歌うことが上手であれば、歌を歌ってキリストの愛を伝えたと思います。」(1)

小説の価値を、神など存在するとは思えないような矛盾とか混沌に置く人もいますが、三浦さんの小説の特徴は「神は存在する」ということを前提としています。

そのうえで、人間は神のまえに罪があるということを強調しつつ、神は人の罪をゆるす存在であることを語ります。そして、あなたも他の人の罪をゆるすことができますかと問うているように思えます。

『氷点』は、ネット辞書のウィキペディアによると次のように評論されています。「継母による継子いじめ、義理の兄妹間の恋愛感情などの大衆的な要素を持つ一方、キリスト教の概念である「原罪」が重要なテーマとして物語の背景にある。

 続編のテーマは罪に対する「ゆるし」であり、これらのテーマには三浦の宗教的な立場が色濃く反映されている」(ウィキペディア)

 三浦さんが、「小説を書くつもりでというよりは、キリストの愛を伝えたくて小説を書いている」(表ページ)と明確に語っている理由は、三浦さん自身が信仰的な体験を実際にしたからです。たとえば、病気で13年間寝ていた時、「こんな寝たきりで、ただお金を使って、人に心配をかけて、生きる権利があるだろうか、自分は死んだほうがいいのではないかと、幾度考えたかわかりません」(2)という状況から聖書に出会い、他の信者たちからの励ましもあって神の愛を知りました。

聖書については、三浦さんは次のように語っています。「聖書には『神様は、人をご自分(神様)にかたどってつくられた』と書いてあります。神の心に似せて、私たちはつくられたのです。私たちは幸いなことに、悪魔の形に似せてつくられたのではないのです。このことを知ったとき、私は非常に感動しました。しかし、そのような人間として生きることは容易ではないと思います。何かの目に遭うと、人は簡単に人を見限り、自分を見限ります。『どうせ私なんか、いてもいなくてもいいんだよ』とか、『どうせ俺は落ちこぼれだよ』とか、『あいつはもう駄目な男だ』とか『あの子は救いようがない』とか。しかし、神様は決してそうはおっしゃらない。誰一人、どうでもいいという人間はいないのです」(3)

「自分は生きていて意味があるのだろうか」と、ある程度深刻に考えた人でないと、私たちが神の性質に似せてつくられたという事実をありがたく思うことはないかもしれません。それでも、自分の状況や能力によらない価値のようなものがあるなら、それを求める思いは誰にでもあるのではないでしょうか。ぜひ教会においでくださって、正しい解釈のもとで聖書を学んでいただきたいと願っています。〔大泉聖書教会牧師 池田尚広〕

(※1~(3):「愛すること生きること」(三浦綾子、光文社)(※1p.85(2)p.93(3)p.92-93

                                                                             

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