《科学者と信仰》

日本における宇宙開発事業の最先端をゆく研究所で人工衛星などの構造の研究に携わっていたSさんが教会に行くようになったのは、息子を教会の幼児教室に通わせたことがきっかけでした。

子どもが日曜日に教会に行くようになった当初、日曜の朝は寝ていたそうですが、いつしか子どもにひかれて教会に通うようになりました。幼い息子さんが、教会で覚えてきた聖書の言葉を聞いた時、「それまで漠然と考えていたことが急に心開かれ、信じることができた」といいます。

「神は愛である」という聖書の言葉にSさんの心は開かれ、人間にとっての真理が分かったというのです。また、Sさんは「宇宙の仕事に携わっていると、知識が得られれば得られるほど、宇宙天地創造の神様が身近に、しかも畏れ(おそれ)を持って感じられたのです」と語っています。(※1

欧米ですと特に宇宙の研究に携わる学者にクリスチャンは多いということを聞いたことがありますが、日本ではそうではありません。その背景としてあるのが、精神の世界以外で宗教や神を持ち出すことは程度が低い行動であるという考えです。ですから、科学者で宗教と関わりがあるということは、学究意欲をなくしたので神を持ち出していると理解されることにもなります。また、ガリレオ裁判で科学者が宗教者にひどい目に遭わされている事実から、宗教は科学と相容れないものだと思っている人が私たちの社会には多い感じがします。しかし、ガリレオより先に地動説を唱えていたコペルニクスは教会の司祭でした。コペルニクスにとって被造物を研究することは創造者である神をさらに知る手段であったのではないでしょうか。

 昨年            (2018)出版された本に「科学者はなぜ神を信じるのか」という本があります。この本は名古屋大学名誉教授であり、カトリック東京大司教区協力助祭という立場にある三田一郎さんという人によって書かれたものです。三田氏は素粒子物理学を専門とする学者ですが、ノーベル物理学賞受賞者である小柴昌俊さんとの会話をその本の中に記しています。

「私が信仰に熱意を持ちはじめたことをご存じだった(小柴)先生はこうおっしゃいました。『三田君、宗教がないほうが世界は平和だよ』 たしかに世界の歴史をみても宗教を原因とする戦争は数えきれません。日本が国民を第二次世界大戦に巻き込んだのも、軍が天皇を神として祀り上げて「お国のために命を捧げよ」と洗脳したからでした。人間は戦争をしたければ神をも使うのです。その時、私はこう答えました。『宗教という言葉は往々にして「神」と「教会」と「宗教」を混同しています。神は信仰者が崇拝する相手です。教会は神を礼拝する人間の集まりです。宗教は人間が神の教えを伝える手段です。教会や宗教は、人間がやることですからしばしば間違いを犯します。しかし、神は間違わないと定義されています。』」(※2)

 さて皆さんは、国連のある調査では過去300年間に大きな業績をあげた世界中の科学者300人のうち、8割ないし9割が神を信じていた(3)という報告があるそうですが、その事実を信じることができるでしょうか。私たち日本人の多くが、科学者とは神を否定する研究をしている人たちであると考えているように思います。しかしその国連の報告を見れば、その考えはスタンダードではないこととなります。

 ぜひ紹介させていただいた本を読んでくださるなりして、神の存在について考えていただければ幸いです。また、教会にぜひおいでください。〔大泉聖書教会牧師 池田尚広〕

(1)「続・生きる勇気が湧いてくる」(クリスチャン新聞編p.16

(2)「科学者はなぜ神を信じるのか」(講談社p.259

(3)「前掲書」(p.3)

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