《求めなさい》

「求めなさい。そうすれば与えられます」(※1)と、イエス・キリストは語りました。

私たちが神に願う時、神は三つの答えをお持ちだと言われています。それは、「YES」(はい)と、NO(いいえ)と、WAIT(待て)の三つです。そもそも神に願うこと自体、弱い人がすることだという考えもありますが、人の歩みにおいて、人間の限界を超えたことは多々あります。先が見えない分野で、決断を迫られることもあるでしょうし、重い病気にかかることもあるでしょう。もしかして、強がりを言う人は、あまり自分の限界に遭遇する時がないだけなのかもしれません。

 イエス・キリストは、何でも願っていいと言われました。ひじょうに個人的なことであっても願ってよいことを示されました。そして、諦めずに祈るように勧めました。

 ある若い一人の女性がいました。この人は、オルガンを演奏するのが好きで、ドイツに留学をしてさらに腕を磨きたいと思っていました。しかし、お金がありません。熱心に何年も神に願いました。彼女は、ある教会のオルガンを借りて、ほとんど毎日練習していました。何年か経ちました。そこにあるドイツ人が尋ねて来ました。

このドイツ人は、日曜に行われている礼拝に来たわけではなく、日曜日以外の普段の日に、ひょっこり立ち寄ったのでした。その教会の牧師とも、知り合いの関係でもなかったようです。この人がたまたま立ち寄った時に、いつものように彼女はオルガンの練習をしていました。そのドイツ人はしばらくオルガンの音を聞いてから、教会の牧師に次のように言ったそうです。「もし、この人がドイツで学びたければ、費用は出しますよ」(広島キリスト教会・植竹利侑牧師の経験より)

 神は私たちの個人的な願いを叶えてくださる方です。ただ、忍耐をもって願い続けなければならない時もあります。子どもが親に高価な玩具を買ってほしいとねだった時に、良い親はしばらく待たせるものです。たとえば、誕生日まで待ちなさいというのが一般的なやり方です。待つことを覚えないと、子どもはダメになってしまいます。それと同じように、大人になっても待つ必要があることがあります。信仰の世界で「待つ」とは、諦めないで、準備をしながら期待し続け、神に願い続けるということです。

 神への祈りをささげるやり方は、まず、「神様」とか、「天にいらっしゃる神様」というような呼びかけをします。そして、自分の祈りや願いをささげますが、へりくだった心でないといけません。神に対して、「言うことを聞け」という態度であってはなりません。親子の関係でも、子どもが親に対して横柄に願う時に、親はその願いを叶えてあげたいとは思わないはずですし、願いを叶えるべきではないと思うかもしれません。祈りの最後では、「イエス・キリストのお名前によって祈ります」と言います。祈りは、その人の熱心が神を動かすのではありません。神の子(イエス・キリスト)の犠牲によって罪が赦され、また神の子の権威によって祈りが天に届くのです。

 ぜひ、自分に必要なこととしてキリストの犠牲を信じて、そして、願い事を神に祈ってみてください。また、教会ではあなたのおいでをお待ちしています。ぜひおいでください。    (大泉聖書教会牧師 池田尚広)

(※1)新約聖書マタイの福音書7章7節