《ありのままで愛されている》

「あなたはありのままで愛されている」というフレーズは、最近では多くの場所で見聞きするフレーズだと思います。

 ベネッセの「こどもちゃれんじEnglish」やNHK Eテレの「えいごであそぼ」で活躍したキコ・ウィルソンさんという人がいます。この人が機関紙のインタビューで次のように語っています。「いつの頃からか、子どもたちに向けてメッセージを発信することを意識するようになりました。テレビの前にいる子は、もしかしたら一人で見ているかもしれない。でも、『あなたは一人じゃないのよ』っていうことが、カメラ越しにでも伝えられればな、と思うのです。SNSは確かに便利で楽しいツールですけど、〔いいね〕の数でその人の価値が決まるわけじゃないですよね。SNSって、自分の本当の価値を忘れてしまいやすい場所だと思います。神様は愛を持って私たちを造られたこと、どんな時でも一人じゃないということが、どこにいても変わらない真実であることを思い出すことが大事かなと思います。」

 キコ・ウィルソンさんは最近では子ども向けのミュージカルや「こどもらうんじ」の全国ツアーでステージに立つことも増えたそうです。でもテレビの中でもステージの上でも、子ども番組のお姉さんらしく振舞ったことは一度もなく、どんな時でも「自分らしく」と考えているということです。そして、そんな姿を見てもらえば、子どもたちも何かを感じてくれて、「みんなと違っていてもいい。自分もこのままでいい」と思ってくれるんじゃないでしょうかと語っています。

「ありのままで愛されている」という表現は、私たちを愛してくれる存在があるということを意味しています。キコ・ウィルソンさんにとってもその存在は「神様」でした。その神はすべての人を存在させた神であり、人間だけではなくすべてを創造した神でした。

キコ・ウィルソンさんは、キリスト教会に通うクリスチャンであるわけですが、私たちが信じる神はすべての人の存在と関わっている神です。そして、神はすべての人に意味と価値を持たせて、その人の両親を通してこの地上に存在させたお方(おかた)です。「ありのままで愛されている」とは、その人の存在は最初から意味と価値が与えられているということでもあります。

キリスト教会にとって、イエス・キリストは「神の御子(みこ)」です。神の御子であるイエス・キリストは「一人の罪人(つみびと)が悔い改めるなら、神の御使いたちの前には喜びがある」(1)と語りました。聖書の中での罪人(つみびと)とは、その人を存在させた神を無視して神から離れている人を指します。そして、 「悔い改める」とは「考え方を変える」ことを意味します。その人が自分を存在させた神を認めて、その神のもとに帰る時、天において天使たちの前で喜びが沸き起こると聖書に記されています。

ところで、人間は誰でも仕事や学業や人間関係や健康上の問題などを抱えて生きていますが、神を信じることはさらに重荷を加えられることではありません。たとえば、あなたを存在させた神を認めることを通して、周りの人は自分をどう思うかというような過度な意識から解放されます。「自分は自分でいい」という意識は自分を存在させた主体を本当に認めることを通して実現するからです。

教会ではあなたのおいでをお待ちしています。ぜひ、おいでください。

〔大泉聖書教会牧師 池田尚広〕

キコ・ウィルソンさんのこと:クリスチャン新聞福音版2019.12月号より

(※1)新約聖書ルカの福音書15:10

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