《現実の中の信仰》

 信仰とは、現実世界に関係があることではなく、精神的なことと思われることもありますが、決してそうではありません。ビジネスの最前線で働く人の中にも、信仰を土台として生きている方々は多くおられます。

 建設会社を経営していた、ある方の経験をここで紹介させていただきます。その方は才門正男さんという人ですが、父親のあとをついで34歳の若さで建設会社の社長になりました。大阪では名の知れた建設会社で、ピーク時には260億円の売り上げを記録していたそうです。

 しかし、バブルが崩壊して金融機関の方針変更、デベロッパーの倒産など、借り入れ総額は増大していきました。それでも、資産を大きくすれば切り抜けられると自信を持っていた才門さんは、業績の拡大に走り、積極的な受注を重ねていきました。そのうち、無理に受注してきた案件に次々と問題が発生し、夜中にうなされて目がさめ、般若心経を写経したり、朝まで歩いたりする日々が続きました。ある日、たまたま立ち寄った古本屋で三浦綾子の『新約聖書入門』を購入しました。

 それを読んで信仰を持ちたいと思ったそうです。ただ、会社経営のほうでは、いろいろな試練が続きました。やがて民事再生法を申請することとなり、債権者に対しての徹夜続きの説明で声もかすれ、

眉毛は抜け落ち、頭には十数か所の円形脱毛症ができました。しばらくして、裁判所から民事再生法の認可を受けることができ、約170億円の債務が免除されました。しかし、試練は続き、会社の再生許可をもっとも支援していた金融機関がまさかの破綻をし、さらに提携先の韓国トップのゼネコンも破綻するなど、信じられないことが続きました。それで再生計画に必要な70億円の受注が一気に吹き飛びました。しかし、それまでの一連のことの中に、奇跡と呼べるほどの神の恵みもありました。再生認可前に提携先の会社が破綻していれば、民事再生の認可は受けられませんでした。20世紀最後のクリスマスに、才門さんはキリスト教会で洗礼を受けました。

 家族にもさまざまなことが起こりました。債権者集会の日に、長男は弁護士になる決心をして、大学の法学部に編入しました。留学先から帰国した次男は路上で二人組の男に一方的に殴られて病院に運ばれ、失明を覚悟したようですが、奇跡的に手術が成功しました。三男はアルバイト先で暴行障害事件を起こして逮捕され、少年院に入り、そこで聖書を読むようになって信仰を持ちました。才門さんは、「神さまは、私たち家族が新しく生まれ変わる準備をしてくれました」と告白しています。

 その後、才門さん自身は、当時の長野県の田中知事から、破綻した第三セクターのリゾートの再生を手伝ったほしいという連絡を受け、その仕事に乗り出すことになります。いろいろと苦労があったのちに、成果を出すことに成功しました。長野県下のスキー場の売り上げが軒並みダウンする中、才門さんが関わるリゾート(飯綱スキー場)は、2005年に一割近い回復を見せ、スキーブーム最盛期以来、初めての逆転カーブになったそうです。

才門さんは次のように言っています。「神さまがすごいと思うのは、いつも人間が思いつかないシナリオを書いてくださることです。神さまがありとあらゆるところで、想像もしていないところで扉を開けたら、そこに必ず新しいものを置いてくださっています。でもその扉を開けるのは怖いことです。なぜなら試練もそこにありますから。試練も待っているけれどチャンスも待っている。でも必ずその試練はいつの日か恵みに変わってるんだ、ということをこの5年間(信仰を持った2000年〜)で、学ばされました。」

(『地上に輝く星たちU』いのちのことば社・マナブックスより抜粋)

 信仰を持ったら、いいことばかりあるというようなことはありません。しかし、神さま(イエス・キリスト)を信じたら、別の神の祟りや、別の神が試練を与えるということもありません。神さまを信じたのちに経験する試練は、完全に神さまが関わっている試練です。そうであるなら、すべての試練や困難は、私たちに何かを教えるためでもあり、また予想を超えた良いことを経験させるためでもあります。そもそも私たちが考える「良いこと」は、本当に良いことなのか、私たちは今すべてを悟っているわけではありません。才門さんは、神さまを信じたのちにも、いろいろな困難を経験しました。でも、その困難や試練は、いつの日か恵みに変わっているということを語っています。聖書に次のようなことばがあります。

「神を愛する人々・・のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださる」(新約聖書ローマ人への手紙8:28)

 教会ではあなたのおいでをお待ちしています。何かお聞きになりたいことがありましたら、お気軽にご連絡ください。(大泉聖書教会 牧師池田尚広)