《自分の意味》

 ヘレン・ケラーの名前は、誰でも知っていると思います。視力と聴力が生まれた時から障害があり、見る・聞く・話すということができないので、三重苦の人と言われています。それでも、なぜ彼女が有名かというと、希望を持って自分にある能力を鍛えて大学まで出たその生き方が、人々に勇気を与えるからです。裕福な家に育った彼女は、幼いときは家庭教師を煩わせる問題児でした。サリバンという先生が家庭教師となった時、先生はよくヘレンの手に水をかけてから、水という意味の文字をヘレンの手の上でなぞりました。最初は何のことかわからなかったようですが、ある時、これはこの冷たいものを意味することばで、すべてのものには名前と意味があるということがわかったそうです。その時を境に、ヘレンの態度は一変し、多くの分野の事柄を積極的に学習していくようになりました。

ヘレンがだいぶ成長してからのことと思いますが、ある時サリバン先生は、神について語りました。その時、ヘレンは「私はそのようなお(かた)がおられると思っていました」と答えたそうです。すべてのものには意味があるわけですが、その意味を与えた存在がいるのではないかと思っていたようです。コップは液体のものを飲む用に使い、スプーンは食べ物をすくうために使うという役目があり、その役目がそのものの意味です。しかし、この世の中には、機能が明確にわからない物も多くあります。たとえば、道端にころがっている石や草花は、明確な役目を持っているわけではありません。私たち一人一人の存在を考えてみても、お金を稼ぐとか、料理を作るというような働きだけが人間存在の意味ではありません。もしそうなら、体が不自由になって動けない人は意味を持たないことになります。私たちが自分の意味を一生懸命作ろうとしても作れない時もあります。ですから、存在の意味は自分で作るのではなく、すでに与えられているものではないでしょうか。

 ヘレン・ケラーが、すべてのものに存在の意味を与えたお(かた)(神)を、どのように想像するようになったか詳しいことはわかりませんが、そのようなお(かた)を信じることは、私たち一人一人の意味を回復することでもあるのです。

「知れ。(しゅ)こそ神。主が、私たちを造られた。私たちは主のもの、主の民、その牧場の羊である。」

これは、旧約聖書の詩篇100篇にあることばです。このことばの背後には、あなたの両親を用いて神があなたを造ったことが述べられています。

 人によって程度の差がありますが、誰でも一種の空しさを感じているものです。その空しさの原因は、存在の意味を与えたお方と関係を持たないことから生じています。

その空しさにつけこんでくるカルトや新興宗教もあり、警戒心を持っておられる人も多くおられますが、ぜひ一度しかない人生の中で、キリスト教が伝えている神について知っていただきたいと願っています。

 キリスト教の場合、信じるとはイエス・キリストを信じることを意味します。信じるとは、教会という組織を信じることでも、キリスト教の歴史を信じることでもありません。キリストを信じるとは、イエス・キリストが神の子であることを信じることであり、自分の(すく)(ぬし)であると信じることです。また、キリストのことばと行動を記してある聖書を、神のことばと信じることです。新約聖書はキリストのことばと行動や、キリストを伝えた弟子たちのことばが書かれていますが、やがて(すく)(ぬし)が来るという約束が書いてある旧約聖書も同様に重要です。旧約の旧は、「時代的に昔の」という意味があり、約は約束の約で、古い時代に神が約束されたことという意味です。新約は、新しい時代に神が約束されたことという意味です。

この世の中で、神といっても、いろいろな神があります。私たちに意味と価値が与えた存在がいるとしても、はたしてそれはキリスト教で言っている神なのかという点が、多くの方々が疑問に思うことだと思います。私たちの存在や、すべての物に本当に意味と価値を与えた(かた)がおられるとするなら、それは複数の存在ではなく唯一の存在であるはずです。また、もしそのような方がおられるなら、人間が明確にわかるように神ご自身のことを知らせてくださるはずです。そのために、神はご自身と同等の存在である神の子キリストを遣わされました。ですから、キリストを信じることが神を信じることです。以上が簡単なキリスト教の説明です。

 キリスト教は、よく西欧の宗教と言われます。しかし、キリスト教は西欧ではなく中東から始まりました。神の子をこの世に生まれさせた場所は、白人と黒人と黄色人種が交わる場所だったということは興味深いことではないでしょうか。仏教も外国から来た教えです。外国から来たということは、敬遠すべきことではないと思います。

 ぜひ、一度教会においでください。教会ではあなたのおいでをお待ちしています。また、何なりと質問がある方は、ご連絡いただきたいと思います。

       (大泉聖書教会牧師 池田尚広)