《家庭崩壊から回復へ》

 現在の日本のプロスポーツを代表している競技は、野球とサッカーだと思います。外国から来る選手もけっこう多いわけですが、その中でクリスチャンの選手も少なからずいます。Jリーグ(日本のプロサッカー)の1996年のMVP(年間最優秀選手)は、鹿島アントラーズのジョルジーニョ(本名:ジョルジ・デ・アモリン・カンポス)でした。ジョルジーニョは、ワールドカップアメリカ大会(1994)のブラジル代表選手でもありました。

 彼は、自分の信仰体験を本にしています(1)。ブラジルで育った彼は、ブラジルの多くの家庭がそうであるように大勢の兄弟の中で育ち、姉四人と兄二人の末っ子でした。家族は、新興宗教と麻薬と酒で崩壊寸前だったことがありました。両親はマクンバという新興宗教に熱中したことがあり、父親が祈り出すと別人のように神がかり状態になってしまって、周りの者は不安にさせられたそうです。また、長兄は友達にそそのかされて11歳の時から麻薬を使うようになり、次兄はアルコール依存症になりました。マクンバの祈祷師は、母親に「もっと供え物を持ってこないと、次にはおまえの次男が死ぬぞ」と母親を脅かしました。切羽詰った母親は、高額な供え物を買うお金を工面するために、昔の友人に「お金を貸してちょうだい」と頼みました。

「マクンバより、もっといいところに連れて行ってあげるわ。そこには、私の素晴らしい友達がいて、彼があなたの問題を解決してくださるわ」

昔の友人がジョルジーニョの母親を連れていったのは、プロテスタントの教会で、「素晴らしい友達」とはイエス・キリストのことでした。

 それから、母親は教会に行くようになって、子どもたちの問題や家計や困難の解決を求めてよく祈るようになりました。また、ジョルジーニョ少年に、聖書のある部分を紙切れに書いて渡して、「これを繰り返して読みなさい」とよく勧めるようにもなりました。母親がよく祈り出してから、次兄がこれまでの生き方で神を悲しませたことを悔い改めて信仰を持つようになり、アルコール依存症と心臓病がピタッと治ってしまったそうです。次兄はマクンバの祈祷師が言ったように、その後交通事故に遭いましたが、脅かされたようにはならずに無傷だったそうです。

 酒をピタッと断つという劇的な変身をした次兄を見て、ジョルジーニョは尋ねました。

「兄さん、何かあったの。まるで別人みたいだよ」

「実は、神さまとお会いしたんだ」

「?!・・・どこで、どうやって?」

「イエス様は僕に『わたしが道であり、真理であり、いのちなのです』とおっしゃったんだ。

それで、もう今までのような空しい生き方をやめて、イエス様を救い主として受け入れて従っていこうと決心したんだ」

兄は眼を輝かせながら、あふれるような喜びを表して話したそうです。

 ジョルジーニョは、ブラジルでサッカー選手として大きな成功を手にした。しかし、20歳の時に怪我をして、なかなか治らない中で、いわばご利益を求めるような気持ちで教会に出かけた。牧師が祈ってくれて不思議と次の週には試合に出られたのをきっかけに、心の目が少しづつ開かれていったと振り返っています。

「僕はお金も名声も兄さんとは比べものにならないくらいたくさん持っている。でも心の中は空っぽだ。それでますます欲しい物を手に入れては、心を満たそうとしてきた。しかし、僕には兄さんの持っている豊かな平安や喜び、目の輝きの半分もない。兄さんの持っているようなものをどうしたら得られるのだろう」

 日曜日に教会に行くことを決心すると、発熱したり体調が悪くなったり、行っても途中で帰りたくなったり、いろいろな思いが出てきたが、それでも強く決心して礼拝に出席し続けた。そのうちに、聖書を読むのが楽しくなってきて、聖書をむさぼるように読み、礼拝のメッセージを聞いているうちに、次のことがわかってきたと言っています。

──人間は、神によって神の性質に似たものに造られた。それにもかかわらず、サタンにだまされて神に背を向け、自分中心という罪の道を歩み始めてしまった。そこからあらゆるわざわいと死が生じた。しかし、神はそのような人間をあわれみ、ひとり子イエス・キリストを地上に遣わした。キリストは人類の罪の身代わりに十字架にかかって死に、三日目に復活することによって罪と死を滅ぼしてくださった。このイエス・キリストを救い主として信じる者は、罪と死から開放され、新しく生まれ変わり、永遠のいのちをいただくことができる。──

 それから彼は次兄が行っている教会で洗礼を受けた。そののち彼は、ドイツや日本をはじめ、いろいろな場所で自身の体験を語った。

 教会では、あなたのおいでをお待ちしています。

ぜひ、一度おいでください。

           (大泉聖書教会牧師 池田尚広)

※1「栄光をめざして」(いのちのことば社)参照