存在価値》

最近は、日本でも仕事の評価に関して欧米流の成果主義を取り入れる企業が多くなっているということを、先月号で取り上げさせていただきました。日本の成果主義のさきがけとなった武田薬品工業の当時の人事部長の柳下さんはクリスチャンでした。よく、欧米は弱肉強食社会だと言われます。結果に対して責任がしっかり問われるという点ではその理解は当たっているかもしれません。しかし、私たちの社会を正しく分析しなければ、諸外国に対しても正しい理解をすることはできないと思います。
私たちの社会は、その人の立場や、学歴、見栄えの良さなどと、存在価値が密接に結びついている社会です。このような社会の中で、人の業績を評価する人はそれなりの苦労があります。成果を厳密に評価することは、評価される人の存在価値を無くしてしまうかのように思われる可能性があるからです。そして結局、無難な評価として、学歴という物差しだけに頼るということになっていたと思われます。しかし、これからの時代、企業はどうしても成果ということを評価の対象に入れなければ、やっていくことができなくなりました。そこで大切なことは、評価する側も、評価される側も、存在価値というものしっかりと理解していることです。
存在価値を理解していれば、たとえ、ある分野の先天的能力が人より劣っていても、そのほど気にはならないはずです。また、努力した結果が、人より優れていても劣っていても、それはその分野だけのこととして受け取ることができるはずです。アメリカで100 万部以上も売れ、大人にも子どもにも親しまれている『 たいせつなきみ』 という絵本があります。木彫りの小人ウイミックの社会には、不思議な慣習がありました。互いに才能や美しさを認めることができると、金色のシールを貼ることになっていました。逆に、失敗をしたり、見栄えが悪かった時には、グレーのシールを貼られます。パンチネロというウィミックは、どんなにがんばってもグレーのシールを貼られ、「ぼくはダメなやつさ」と自信を無くしていました。しかしある日、パンチネロは金色のシールもグレーのシールもくっついていない女の子のルシアと出会います。パンチネロは、そのようになるにはどうしたらいいかとルシアに聞きます。すると、『 毎日、エリに会いに行くといいわ』 と紹介されます。

パンチネロはエリに会いに行きました。彫刻家のエリは、実はパンチネロを含め木彫りの小人たちを作った人でした。エリはパンチネロに次のように語りかけます。『 おまえは気にすることはない。金色のシールやグレーのシールを貼り付けているのは、いったい誰か考えてごらん。おまえと同じウイミックだ。仲間がどう思おうとかまやしない。パンチネロ。大事なのは、この私がどう思うかということなのだ。私はおまえのことを、かけがえのない宝だと思っているよ。』 そして、エリは続けて言います。『 シールはおまえがくっつくように仕向けるからくっつくんだよ。』『 どういう意味?』 とパンチネロが聞きます。『 おまえがシールを気にしているからくっつくということさ。私の愛を信じれば信じるほど、シールなんてどうでもよくなるよ。』 と、エリは答えました。パンチネロは、その意味がよくわからなかったのですが、やがて「エリは本気でぼくのことを大切に思ってくれている]と少し理解するようになりました。その瞬間、グレーのシールが一枚、ポロッとはがれ、地面に落ちるのです。この「たいせつなきみ」の作者マックス・ルケードは、彫刻家の名前をエリという名前にしました。へブル語(旧約聖書の原語)でエリは、「私の神」という意味です。多分、その意味で、ルケードは彫刻家の名前をエリとしたと思います。旧約聖書イザヤ書のある部分に、「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」という言葉があります。存在の意味を問うた時、あなたの両親にその最終的な回答があるのでありません。人間の意志が働いたとしても、最終的に命や能力や個性を与えるのは神です。存在価値は、自分自身から生まれるわけではありません。あなたがいかに有能でも、美しくても、財産を多くお持ちでも、あなたの存在価値はそこにあるのではありません。もし、そうなら、あなたの財産がなくなったり、年老いて身体的機能が弱くなった時、あなたは存在価値を失うことになります。
 人の悪い行為については神は裁きますが、人の存在については神は愛します。良い親が子どもを愛するのと同じです。神があなたという存在を大切に思っておられます。ぜひ、教会においでになって、それを知っていただきたいと願っています。

(大泉聖書教会牧師池田尚広)