《あなたの視点は?》

 人は、自分の抱いている人生のイメージから影響を受けています。ことばにはできなくても、誰でも潜在的にそのイメージを持っているものです。あなたが人生はレースであると考えるなら、スピードこそ人生の価値ということになります。人生をマラソンと考えるなら、忍耐こそ人生の価値です。人生を競技だと考えれば「勝つこと」が人生の価値です。人生を祭りのようなものと考えれば、「楽しむこと」が人生の価値です。あなたは生きることをどのようにとらえているでしょうか。
 人は、自分の抱いている価値観によって良い意味でも悪い意味でも影響を受けています。聖書が示している人生の見方を紹介させていただきます。聖書は、三つのイメージを提供しています。その第一は、「人生はテストである」ということです。その第二は、「人生は預かりものである」ということです。その第三は「人生は一時的な務めである」ということです。
 さて、その第一の「人生はテストである」ということですが、神はいたずらに人をテストしているのではありません。人格というものは、試されることを通して成長すると言われています。時間の使い方を通して何を本当に大切にしているかが試され、人との関わりを通して愛が試され、なにかを失うことを通して変わらない希望を持っているかが試されます。神はそのようにして、人が良きものを得ることを願っています。それとともに神は、困難からの脱出の道も備えてくださいます。
「神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。」(聖書)

 第二の「人生は預かりものである」という視点ですが、これは他の宗教でも語っていることかもしれません。しかし、誰からの預かりものかということが語られることがあるでしょうか。聖書は、この世界を創造した神が「あなた」という人格を持つ存在をこの世に生まれるように計画され、その方があなたに一定の時と能力を預けたことを示しています。そして、私たちがそれを大切に管理することが神の意思です。
 生まれた時から持っているもの(能力や基本的な健康状態など)も、与えられた能力を用いて自分が築きあげたり集めたりするものも、それは一時的な預かり物です。聖書は管理者として忠実であることを私たちに説いています。管理者として忠実であるとは、それがどのようなものであれ、預けられたことを認め、受けたものを感謝することです。また、それを神が期待しているようなことに使うことです。良い管理とは、持ち物をみんな困っている人に捧げるようなことではありません。多く所有しようが少なく所有しようが、所有しているもの自体に拠り所を置かないことです。また、生まれつき多く受けていようが少なく受けていようが、受けたものは神から受けたものとして大切にすることです。そして、本当に良いことのために使うことです。

 最後に(第三に)に、聖書は「人生とは一時的な務めである」と言っています。死後の世界というものを、ある人は否定し、ある人は興味を持ちます。あなたの考えは、どのようなものでしょうか。聖書は、永遠の故郷があることを語っています。そして、人生は一時的な務めであると言っています。一時的な務めが終わったのちに、永遠の故郷が用意されていて、そこはすばらしい世界であることが示されています。世界には、いろいろな考え方があります。死後の世界を否定した考えや、死後の世界をあまりにもクローズアップさせて、この世の生き方を台だしにさせるような考えがあります。聖書は、そのどちらの考えも支持してはいません。預けられたものを大切にしつつも、それがこの地上で永遠に所有できるかのような生き方をすることなく、天の故郷に永遠の希望を抱きながら生きることが神の計画です。
 あなたは、以上述べてきたような考えをすでに持っておられたかもしれません。神のことばである聖書は、人間の理性とずれていることを言ってはいません。むしろ、人間の理性を健全にすることを語っています。聖書は、長年の人間の成果としてまとめられたものではありません。比較的新しい時代に書かれた新約聖書は約2000年前に書かれ、旧約聖書の古い部分は3500年前に書かれました。そして、今なお聖書は、人の理性を健全にし、人にバランスを与え、真理を示しています。ですから、聖書は人間の長年の成果としてまとめられたものではなく、まさに神のことばであるので、古い時代に書かれていても、現代にも力をもって語っているのです。
 時たま、聖書を使う特定の宗教団体から嫌悪感を持つことがあるかもしれません。歴史上、聖書の言葉を曲げたり、間違って解釈する集団は数多く出てきました。しかし、それによって、所詮、聖書とは価値が低いものと考えないでください。あなた自身が聖書のことばに直接あたり、そこで評価をくだしていただきたいと思います。ぜひ、教会においでくださって共に聖書を学んでいただきたいと願っています。教会では、あなたのおいでをお待ちしています。(大泉聖書教会牧師池田尚広)