《両手両足がなくても》

 ロンドンオリンピックのあと、パラリンピックが開かれて、世界中の人の目がハンディキャップを持った方々に注がれました。この紙面で紹介させていただくのは、スポーツ選手ではなく、各地で講演を通して多くの人の励ましている、ひとりのハンディキャップを持ったオーストラリア人(ニック・ブイチチさん)を紹介させていただきたいと思います。

 ニックさんは、生まれつき両手と両足がない状態で生まれてきた。思春期が近づいてくると、ニックさんは自分の将来について思い悩むようになった。「僕は貧乏くじを引いたんだ。決まった仕事についたり、結婚したり、子どもを育てたりする人並みの幸せを手にできない。一生みんなのお荷物として生きるしかないのなら、生きていても仕方がない・・・」

 人生に希望を見出せなかったニックさんは「神さまが僕の痛みを取り去ってくださらないのなら、自分で取り除こう」と十歳のとき自殺を試みた。湯船の中で体を回転させ、肺の中の空気を吐き出して、顔をお湯の中に沈めた。十、九、八と数を数えている時、両親が自分の墓の前で泣いている光景が頭をよぎった。「もし僕が死んだら、両親、兄弟に一生大きな痛みを追わせることになる・・・」。我に返り、自殺を思いとどまった。「死にたい」という息子の気持ちを知った牧師である父は、ニックさんの頭をなでながら「みんなお前の味方だ。どんな時でも私たちがついている・・・」と言った。「たったそれだけのことで、世界は輝きを取り戻した」とニックさんは述懐する。

 15歳の時、新約聖書・ヨハネの福音書9章のことばに出会った。イエスの弟子たちが生まれつきの盲人を見て、「彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか」とイエスに質問する箇所だ。その質問に、イエスはこう答えた。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現れるためです。」(ヨハネ9:3

 ニックさんは、この聖書のことばを読んですべての答えをいただいたと語る。「僕は腕や足が与えられるように祈ってきました。そして与えられないことに不満をもっていました。でも神さまは、『わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れる』(Uコリント12:9)と教えてくださいました。そして、たとえ与えられなくても、あなたを信頼し続けますと、祈るようになりました。神さまは状況ではなく、僕の心を変えてくださったのです。」

 そのような体験をした頃、学校の生徒300人の前で、スピーチをする体験をした。ニックさんは、自分が乗り越えた数々の困難について、また、自分の気持ちや信条について語った。すると、その話を聞いた一人の女の子が嗚咽(おえつ)し出した。そして、「そちらに行ってハグさせてくれませんか」と言った。彼女はニックさんをハグしながらささやいた。「あなたのおかげで人生が変わりそうです」。そのとき、自分にもだれかのためにできることがあるとニックさんは思った。

 ニックさんは「自分の体験を語るのが僕の使命」と確信し、講演家、キリスト教伝道者として世界中を回り、学校、刑務所、孤児院、病院、スタジアムなどで自身の体験を語っている。(クリスチャン新聞福音版No.423より)

 教会ではあなたのおいでをお待ちしています。  (大泉聖書教会牧師 池田尚広)