《問題解決能力》

 元高校教師で、現在「恵泉塾」という施設で青少年たちをあずかっている水谷惠信さんによると、「生きる力」は「問題解決能力」だということです。水谷さんは自分の著書で、その問題解決能力を九つに定義しています。

@豊かな経験知、A正確な情報知識、B信頼できる相談相手、C整理総合能力(問題点が出てくると、それにまつわるさまざまな事象を整理し総合する能力で、つまり考える力)、D分析力(整理総合したあと、問題点をそこから抽出する力)、E洞察力(理屈を超えて問題点を見抜く力)、F判断力、G決断力、H実行力

 七番目の判断力のことについて、水谷さんは著書で次のように書いています。

「最後に一つ、お話しておきたいことがありますが、それは判断力です。いろいろな情報が集まってきます。整理できました。分析しました。しかし、最後に大事なことは判断です。自分はどちらを選ぶのか、その判断は情報を集めたり、分析したりすることよりも、もっと大事なことです。子どもたちに聞くと、揺るぎない判断基準を持っている子どもは、ほとんどいません。私は高校教師をしていたとき、四十人の生徒のお母さん方のうち二十数名は毎月集まって学級PTAをしていました。また、二ヶ月に一度、金曜の夜に「おやじの会」というのをやっていました。それは居酒屋に集まるのです。6時から始まって11時、12時までやっていました。みんなワイワイ、子どものこと、家庭のことを語り合ってきました。そうやって親のいろんな話を聞いていますと、お父さん方もお母さん方も、揺るぎない判断基準を持っている人はいませんでした。・・・みんなと比べて、うちの子はどうかという「みんな」というのが一つの尺度なのです。
〔キリスト新聞社発行、水谷惠信著『手渡そう子どもに生きる力』p94,110より抜粋〕

私たちの社会の個々人が、絶対的な判断基準のようなものを自分の中に入れない背景には、何かに頼るのは弱い者がすることという考え方があると思います。しかし、その結果として出てきているのが、「みんなはどう考え、みんなはどうやっているか」という「みんな主義」というのは、いかがなものかと思います。親の「みんな主義」の影響で、子どもたちも比較による価値観しか持てなくなっています。たとえ、比較によって他人に勝ったとしても、いつ追い越されるかという恐れを持っている子どもたちもいます。いずれにせよ、比較による価値観から、生きる力を失っている青少年が現代はずいぶんいるようです。

私たちは根本から物事を考え直さなければならないのではないでしょうか。「みんな主義」でやっていくことは、ある意味では楽ですが、根本的に間違っているということ。自分の中に絶対的な判断基準が必要だということ。絶対的な判断基準は、自然に自分の中に出来上がるのではなく、外から取り入れなければならないということ。以上のことが言えるのではないでしょうか。

青少年の時代に、男性は真理を求め、女性は清さを求めるということを聞いたことがあります。しかし、現代は情報の氾濫や、ゆとりの無さからか、じっくりと自分に向き合う時間が青少年たちにもないようです。それで、真理や清さという絶対的な判断基準ともいえるものを求めることもなくなっているのかもしれません。それで、結果的に生きる力を失っていくのです。

親御さんたちは、子どもが真理などということばをしょっちゅう話していると、逆に不安を覚えてしまうかもしれませんが、むしろ歓迎すべきことではないでしょうか。その子は生きる力を養っているのです。

いちばん良いことは、親御さん自身が、まず絶対的な判断基準を持つことです。そして、子どもにそれを伝えることです。そのことは子どもの自由を阻害することではありません。サンプルがなくては、賛成することも批判することもできないからです。教会では、あなたのおいでをお待ちしています。

 (大泉聖書教会牧師池田尚広)