《オウム・子育て・教育》

 東北学院大学名誉教授の浅見定雄さんは、かなりの数のカルト(破壊的新々宗教)の相談に乗ってきました。そこでいやというほど感じたのは、日本の子育てと教育の問題だそうです。親子関係の問題よる心のすきまにカルトが入ってくるということです。

親子の問題には、第一に親のエゴによる過保護・過干渉の問題があります。単なる過保護・過干渉ではなく、愛情という名のもとに親の思惑で手をかけ過ぎているという問題です。多くの若者は親のエゴを敏感に感じ取ってカルトに走ることがあるということです。第二に過保護・過干渉とは逆に親が親としての責任を放棄しているパターンです。衣食住と金と玄関のカギを与えておけば不足はないと言わんばかりの親がいるということです。第一の場合も第二の場合も、子どもがカルトに入ると、その親は「わが子が得にもならないところに入った」とか「世間体の悪いことをしてくれた」という反応をするのだそうです。

浅見氏によると、若者にとってカルトに入る直接の原因は必ずしも親子問題ばかりではないが、カルトに入ってしまった若者を取り戻すには、8・9割まで家族(親子)の問題が解決しないと不可能だということです。それは、その子を取り戻すことができるのは家族しかいないからです。

それから、カルトが若者をひきつける原因として、答えだけを覚えさせる日本の教育も一因であると浅見氏は指摘しています。途中のことはどうでもいいから、答えをとにかく覚えて、良い点数を取るという行動が、単純かつ強烈な答えを与えるカルトの方へと向かわせるのです。その意味で、私たちは、わが子が単に良い点を取る行為を優先することを警戒しなければなりません。

浅見定雄著『なぜカルト宗教は生まれるのか』(日本キリスト教団出版局)p4749参照〕    

カルトに向かう子どもたちのことから、親の真の愛情というものが問われているともいえます。ところで、愛情を持つということはどういうことでしょうか。ある親は、可能な限りその子の思い通りにさせることを愛情と考えています。また、他人の子どもが持っている物を、自分の子が持っていない状況に立たせないことを愛情と思っている親もいます。

しかし、子どもに好きなように自由に行動させていると言いつつ、実は子どもと対決するのが面倒だという思いがあるなら、愛情がないことと同じです。また、子どもの友だちが、ある物を持っていて、自分の子どもが持っていないということは、実は自分の体裁に関わっているのであれば、本当の愛情がないということです。

先月のIZUMIにも書きましたが、私たちの国民の多くが、他の人と同じであることや、少なくとも劣っていないことを、人生の判断基準としています。そして、子どもを叱る時には、「恥ずかしいからやめてくれ」とか、「恥ずかしいからもっとがんばれ」とか、そのようなことばを口走ってしまうことがあるのです。親の価値観と親の愛情は密接に関係しています。私たちは自分の価値観のほうを変えていかなければならないのではないでしょうか。比較による価値観を心の中に貯めたまま、それを子どもに押し付けないようにしても意味がありません。子どもは親の価値観に触れたいのです。

私たちは自分の価値観を持たなければなりません。時と場合によって変化しない価値観を、あなたのお子さんたちも求めているはずです。お子さんたちがあなた自身から人生観を学ぶことがいちばんよいことです。
ぜひ、教会においでください。教会ではあなたのおいでをお待ちしています。 
(大泉聖書教会牧師池田尚広)