《祈りは聞かれる》

「祈り」についての人の意見はさまざまです。私の知人(女性)は、神様のことを周りの人に語ると多くの人は拒否反応を示すが、「じゃあ、あなたは祈ったことはないの?」と聞くと、ほとんどの人が「ある」と答えると言っていました。その「ある」と答えるほとんどの人とは、女性のようです。男性も、ふと何かに祈ったことはあると答える方は多いと思いますが、女性のほうが、何か大きな存在に頭を垂れることを抵抗が少なくできるのではないかと思います。これは、女性のほうが優れているということではなく、備わった性質のように思います。(逆に、いったん信じると、一般的に男性のほうが途中で迷うことなく進んでいく特長があります)

ところで、今回のIZUMIでは、「祈りが聞かれる」ということについて以下に書きましたが、まず、教会関係の出版物の中から、ひとつの例をご覧ください。

「当時、中学1年のK子さんは、非行仲間に入っていました。いじめられる恐怖から先輩のボスにたより守ってもらうちに、いつの間にかいじめる側になっていました。初めは、朝寝坊をして遅刻する程度なのが、やがて不登校となり、親とはまったく会話をしなくなりました。しかし、母親の厳しい叱責に反発したK子さんは家を出て非行仲間のたまり場に泊まるようになったのです。『それからは、娘のきげんをとる

ようになってしまったのです』と母親は言いました。けれど、状況はますます悪くなっていきました。ついに、母親は娘に手をあげ、K子さんは本当に家を出てしまったのです。

母親は悩んだ末に、地元の青少年指導センターに相談に行きました。『それは家庭の問題です。もっと話し合ったらどうですか』。相談員はそう答えました。子どもと話し合えるくらいなら相談なんかしないのです。ワラをもすがる思いで姉に誘われて、ある宗教団体の集会にも行ってみました。先祖を粗末にした報いと言われ、21日間、地蔵の顔や体を磨くという業を強制されますが、途中で『これじゃない』と思ってやめてしまうのです。

八方ふさがりの中で、母親は自らが中学時代に通っていて、結局は親の反対で止めてしまった市内にあったキリスト教会のことを思い出しました。不思議なことに、そのとき、『祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい』という聖書のことばが頭に浮かんできたのです。それは新約聖書マルコの福音書11章24節に出てくるキリストのことばの一節でした。そのことばの深い意味はわからないものの『ああ、祈ればいいのだ』と思ったということです。

もう20年以上も前のことで、教会に連絡するのは勇気のいることでした。母親はまだ会ったこともない現在の牧師に電話をして娘の窮状を訴えました。『大丈夫です』と気休めのことばが返ってくると思っていたところ、牧師は次のように言いました。『私も祈りますから、あなたも祈ってください。祈るほかありません』。そして、教会の礼拝に30年ぶりに出席したとき、そこには親も子もなく、すべての人が神に愛されている存在であるとわかったということです。

『何をやっても救いがなかったのに、ここには解決があると思いました。あの中学生の時から今まで、神様は忍耐深く、私を待っていてくださったのですね』と母親は言ったそうです。母親が悔い改めて祈り始めた時、娘にも少しずつ変化が見られるようになりました。やがて、日曜日になると、母と娘が連れ立って教会へ行く姿が見られるようになったのです。」(「自分を生きる人生に」(いのちのことば社マナブックスp54〜引用)

《祈りのしかた》

まず、最初に「神様」と呼びかけます。呼びかけについては、「天の父なる神様」とか「全能の神様」とか、呼びかけかたはいろいろありますが、気に入ったものを選んでください。それから、すでに神様は私たち一人一人の状況を私たち以上に知っておられますが、自分のことばで自分の状況を語り、どうしてほしいかを祈ります。最後に「イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン」と言って、祈りを閉じます。

祈りはこのようにして祈られますが、なぜ、ことばに出す必要があるのでしょうか。まず、人がことば言い表すことによって、へりくだる効果があります。高飛車な者の祈りは聞かれません。それから、私たちは自分の心のことは自分がいちばんよく知っているようで、あまり整理できていないことも多く、何を本当に願っているかわかっていないことも多くあるからです。また、ことばに言い表すことによって、その願いが本当に正しいことかを振り返ったり、神の前に反省することもできるからです。「イエス・キリストの名前で〜」ということは、キリストの名が小切手のサインのようなものだからです。「アーメン」とはヘブル語で「真実」という意味で、私の真心からの願いですという内容があります。あなたもぜひ、お祈りしてみてください。また、ぜひ教会で祈りを学んでください。 (大泉聖書教会牧師池田尚広)