《上を見る》

 年末年始になりますと、人は時というものを特に意識するようです。過ごしてきた時を振り返り、新しい年の時をどのように過ごすかを考えます。また、人間の努力を超えた部分を認識し、その部分の守りを祈ります。

 ギリシャ語で、「人間」という言葉は「上を向く存在」という意味があるそうです。その上を向くという内容は、どうやら「祈り」を意味するということです。人間が動物と異なる点は、道具を使うとか、遊ぶとか、そのようなことで定義する人もいますが、ギリシャの考えでは祈るところが、人が動物と違うところのようです。あなたは、この年末年始、何をお祈りされますでしょうか。

 人は神にいろいろなものを求めますが、人の求めと神が人にいちばん与えたいと思っていることが違うことがあります。

この時期になりますと、私たちはクリスマスプレゼントを贈り合います。その習慣は、どの時代から始まったかは明確ではありませんが、それは神が人に偉大なプレゼントを与えたことを記念して行われ始めたものではないかと思われます。

人は祈りの中で、さまざまなものを求めますが、神は人が本当に必要としているものをくださいました。それが、救い主キリストの誕生です。これが、神が人にくださった偉大なプレゼントです。

きよい神が存在するとしたら、人が神からかけ離れていることは、多くの人が感覚的に理解できます。ですから、そんな神について考えたり、関わったりすることは、自分を窮屈にするだけだと考えます。しかし、そう思ったとしても、人は神によって魂を造られた存在ですから、時として祈ったりする者です。

人が神に大胆に近づくことができるために、神は救い主を与えてくださいました。救い主(イエス・キリスト)によって、神との関係が修復され、人は罪を赦されます。死の問題に解決が与えられます。生きる意味を回復します。周りの人の思いを神とするのではなく、神を神とすることができるようになります。持ち物や特定の習慣が神となるのではなく、神が神となります。

救いという言葉は、ヘブル語(旧約聖書の原語)では開放を意味します。人は自分の思いのまま生きているようで、他人の思いや、持ち物(お金や所有物)や、特定の習慣に捕らわれているものです。別の言い方をすれば、人は何かの神が神となっているともいえます。

クリスマスは、キリストの祭りという意味ですが、クリスマスは神が人に偉大なプレゼントをくださったことを記念するものです。救いは開放です。そして、開放は「救い主」によってもたらされます。

人の心はなかなか強情なもので、救いが一方的に与えられると聞けば、自分で勝ち取るべきだと言うし、自分で勝ち取れと聞けば、そんな自分を窮屈にすることはやりたくないと言います。ぜひとも、このクリスマスの時期、教会においでくださって、神が私たちにくださったプレゼントについて心を留めていただきたいと思います。

教会では、あなたのおいでをお待ちしています。もうすぐやってくる新しい年、皆さまのうえに神の豊かな祝福をお祈りいたします。

      (大泉聖書教会牧師池田尚広)