《決断の連続》

生きていくということは、決断の連続です。特に高い地位にある人にとって、決断をくだす時には大きなプレッシャーがかかっているはずです。ひとつ間違えば、組織に大きな損害を与えるだけでなく、その後の人生で悪評を受けながら生きていかなければならないことになります。

相模鉄道という鉄道会社がありますが、その重役に岡さんとう人がいました。横浜駅西口の開発を相模鉄道がおこなっている時に、さまざまな問題が起きました。相模鉄道が作ったショッピングセンターのテナントに入りたくて、担当者だった岡さんの自宅に押し寄せ、菓子折りを一方的に置いていった人がいて、その中に現金が入っていたことがあったそうです。また、社長と個人的な関係を持って、社長からこの人だけは入れてやってはどうかと言わせるような人もいました。

お金で心が揺れ動かない人は誰もいないと思います。岡さんも、菓子折りの中のお金を見て、娘にピアノを買ってあげられると思ったそうです(昭和30〜40年代、まだピアノの値段は高かった)。心が揺れる自分をみて、人間はカネに弱いものだと思ったそうです。その後菓子折りごと会社に持っていって、他の者に返却させました。また、社長との関係においては、三ヵ月間迷ったそうです。ある朝祈っていると「やりなさい」という神の声を聞いたということです。その時にすべての迷いが去って、「社長、やっぱりできません」とはっきりと言うことができました。この時に、岡さんは退社の覚悟を決めていたそうです。しかし、社長が各銀行に新年の挨拶回りをしていた時に、「あなたは良く決断をして、あの仕事を岡さんに任せましたね」と褒められたということです。岡さんの考えについて、ある本に次のように記されています。

「すべてのことは神の摂理の中にあると岡は思っている。人生の可能性は無限だが、それは神が祈りを聴いて下さる方だからだ。いろんなことを祈っていても、それが間違っている祈りもあるだろう。しかし一生懸命祈っていれば、神がその祈りを純化し、リファインして、祈りを変えてくださり、祈りを深めても下さる。いろんなことを祈った中から、本当の祈りだけが取り出されて、後に残って行く。そして願いごとの祈りから、みこころを示してくださいという祈りに変わって来る。祈りは聴かれる、というのが、岡がこれまでに経験したことの根本になっている。」(※)

岡さんは高校時代に教会のバイブルクラス(英語で聖書を学ぶ会)に行きました。その時に聖書をもらいましたが、部屋の奥にしまいこんでいました。会社に入ってから派閥抗争などで悩んでいる時に、聖書があることを思い出し聖書を読み出しました。それからしばらくして、たまたま岡さんの自宅の近くに教会が建ったことで、教会に通いだしました。

なかなか信じる決心がつかなかった時に、次のような経験をしました。「ある年の三月初め、月曜日の寒い朝だった。前日は教会に一応行って、説教の中で語られた『イエス・キリストを信じる者は赦される』という言葉をぼんやり考えながら、駅のほうへ歩いていた。その時、岡は何かひらめいたような気がした。ハッとした。あのイエス・キリストの十字架は自分のためだと気づいた。何か強い電流に、バーンと打たれたような気がした。『自分の罪も赦してもらえるだろうか』頭がボーッとしたまま、会社へ行った。二、三日は仕事が手につかなかった。その時、岡の人生が転換する瞬間だった。数週間後、洗礼を受けた。こうして、信仰生活が始まった。」(※)

日本の社会では、信仰とか宗教は現実離れしたことと考えられる傾向にありますが、高い地位にある人の中には何かの信仰を持っている人が少しはいると言われています。仕事からくる重圧がそうさせている部分もあるかと思います。

ぜひ、教会においでくださり聖書のことばに目を留めていただきたいと願っています。教会ではあなたのおいでをお待ちしています。〔大泉聖書教会 牧師池田尚広〕

()「信念を貫いたこの七人のビジネス戦略」平野誠著、星雲社(アイシーメディクス)より