《阪神のマートン》

 プロ野球の阪神タイガースで今年活躍したマートンについて、知っている人は多いと思います。マートンは日本の年間最多安打数を更新し、イチローの記録を抜きました。阪神ファンのあいだでも、野球にまじめに取り組む姿勢が好評で人気があります。今年の阪神の好成績を支えた立役者の一人といっても過言ではないでしょう。

 厳しいペナントレースが続いていた時、今年の8月4日の朝、マートンはある教会主催の野球教室で子どもたちを指導しました。〔横浜市にある本郷台キリスト教会〕。そこで野球の技術的な指導とともに、子どもたちにメッセージを語りました。〔以下、そのメッセージ〕

『みんなに知ってほしいことは、僕は野球が大好きだということです。プロになって、初めて打ったヒットは生涯忘れることはありません。僕は、みんなと同じように、幼い頃から野球が大好きでした。うまくなるために一生懸命練習し、がんばります。

 でも、野球がいちばん大切なものではありません。野球はたとえどんなにうまくても、あるところで選手生命は終わりを迎えるものです。また、マット・マートンが野球選手であるということは、いつか忘れられていくものです。僕にとってもっとも大切なことは、この僕を造り、また天地を造られた神さまのうちに、自分のアイデンティティーがあるということです。僕は神さまといつも祈りを通して話すことができ、そこから力を受けます。神さまは僕の、そしてみんなの救い主としてイエス・キリストを送られました。神さまは、僕たちだけでなく、日本もアメリカも世界全部を造られたおかたです。そして一人ひとりを愛しておられるおかたです。イエス様は僕の個人的な救い主となってくださいました。僕はイエスさまから無料の贈り物をいただいたのです。

 僕たちは完璧ではありません。間違いを犯す存在です。だからそれをカバーしてくださるかたが必要です。それは一人しかいません。

 その人は決して罪を犯したことがなく、間違いをしたことがありません。そのかたは、僕たちがその罪から自由になるために、この地上に来て、十字架の上で死んでくださいました。だから僕たちの救い主なのです。彼(イエス・キリスト)のおかげで僕たちは永遠にイエスさまと生きるという命の贈り物と、罪からの自由を与えられるのです。・・・・』〔小冊子「助っ人」(らみい増刊号)《クリスチャン新聞発行》より抜粋〕

 私たちのアイデンティティー(その人自身)は、仕事の内容や経歴にあるのでありません。役職も、経歴も、いつかなくなってしまいます。なくならないものは、私たち一人ひとりが神によって意味を与えられたという事実です。しかし、人間の本性の中にはかたくななところがあり、神の存在を否定したり、神など弱い者が頼るものだと思ったりするところがあります。そして、自分の存在意義を自分が成し遂げた何かに置く傾向があります。

 ある人たちは、尊いものは立場や所有の多さの中にはなく、尊いものは「関係」の中にあると気づいておられると思います。たとえば、家族との関係とか、人と人との関係の中に本当に尊いものがあります。それと共に、神との関係が重要です。キリスト教が、イエス・キリストの救いとか、罪からの自由とか言うのは、神との関係というものが基になっています。神は全能であり完全な存在です。そして、きよい存在であり、人の心の中も見通せる存在です。その神と関係を持つ手段は、神がこの世に送られた救い主を架け橋とする以外にはありません。

「神が御子(キリスト)を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。」(新約聖書ヨハネ3:17)

 教会ではあなたのおいでをお待ちしています。ぜひ、おいでください。

(大泉聖書教会 牧師池田尚広)