《プライド》

 生きていくうえでは、健全なプライドが必要です。それを失うと、人間は落ちるところまで落ちていくかもしれません。しかし、不健全なプライドというものもあります。いつも見栄を張っていることや、「あの人よりも低く見られたくない」というような意識など、重荷となるプライドもあります。そこまで極端ではないとしても、プライドが逆にその人自身を苦しめているということは多くあります。過去のプライドにしがみつき、今の現実に目をそむけるようなこともあってはいけません。

神の前にへりくだることは、健全なプライドさえも捨ててしまうような態度だと思う人もいますが、決してそうではありません。むしろ、不健全なプライドから人を解放し、状況や立場によらない健全なプライドを人に与えます。

 先月号で、星野富弘さんのことを書きました(星野さんは、口にくわえた筆で人の心に迫る詩と草花を描くことで有名です)。星野さんは、神を信じるまえは、他の人との比較で自分の幸せを判断していたが、神を信じてからは、そのような思いはなくなったと言っています。

 他の人との比較によって自分の存在価値を得ようとしているなら、どうしても不健全なプライドも関わってきます。過去の栄光や自慢から離れられないことも、要するに、比較による価値観しか持ち合わせていないことが原因です。比較によらない「存在としての意義」を知るなら、過去の栄光にしがみつく必要はなくなります。そればかりではなく、過去の栄光など小さいことにも思えてくるはずです。

 健全なプライドとは、自尊心という言葉で表現できると思いますが、本当の自尊心はその人の能力や立場や生い立ちとは関係のないところから生まれます。自分は親・兄弟から愛されているという体験は、自尊心が育つために大切です。能力や容姿に関係なく、自分は大切な存在なんだと体験することは重要です。しかし、親や兄弟といつまでもいっしょにいるわけにもいきません。人は必ず一人になります。

 人は皆、存在としての意義を神から与えられて、その人の親から生まれてくるのです。ぜひ、あなたに存在の意義を与え、生を与えた神を知っていただきたいと思います。クリスマスは、神が人を愛し、神と人との架け橋である救い主(すくいぬし)を与えたことを祝うものです(クリスマスとはキリストの祭りという意味があります)。ぜひ、教会においでくださり、ともにクリスマスをお祝いしましょう。(大泉聖書教会 牧師池田尚広)