《生きる使命》

聖書のことばの中に、「さばいてはいけません。さばかれないためです。」ということばがあります。そして、その続きに「あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです。」(1)とあります。これは、他の人の価値を低く見ると、自分も他の人からそのようにされるというだけではなく、その人自身が生きる意味をなくする傾向が多く出てくるということでもあります。それは、どういうことかというと、他の人の価値を量りやすい傾向のある人は、自分自身に対しても無意識のうちに価値を量っているものです。やることがうまくいっている時はいいのですが、うまくいかない時が重なった時に、そういう人は、自分の存在価値がないように思えてしまうこととなります。普段の生活の中で、他人の価値を量っていたことの付けを払うことが必ずやってきます。
 その他、聖書のことばの中に、「喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。」(※2)ということばがあります。泣く者といっしょに泣くことは、なんとかできることかもしれませんが、喜ぶ者といっしょに喜ぶことは、むずかしいことです。多くの人の幸福感は、他の人との比較で成り立っている部分があるからです。

では、どうすればいいかというと、精神的に強い人間になるとか、立派な人間になるとか、そのようなことではなく、あなたという存在をこの世に生かした神を認めることです。ところで、生きていけば誰でも辛いことや悲しいことを経験します。生きていくことは決して楽なことではありません。毎日が辛いことの連続である時、なぜ生きなければならないのかと誰でも考えた経験はあると思います。なぜ、生きなければならないかといえば、あなたが生きることは神からの使命であるからです。
一般的には、家族を守るためとか、子どもを食べさせるためとか、そのような思いが私たちを支えているものです。しかし、誰でもやがて一人にならなければなりません。その時に、絶対的な意味の生きる理由を持っているかどうかが問われます。神は、私たち一人ひとりに生きる使命を与えておられます。あなたには、たとえ辛い毎日をおくっていたとしても、あなたに定められた時まで生きる使命があります。あなたの生い立ちや個性や、あなたの能力や風貌を持ったまま、最後の時まで生きることは神からの使命です。それは、あなたが何かを達成したら価値があるようになるとか、そのようなことではありません。神はあなたの中にあるものが最大限に発揮されることを願っておられますが、たとえ何も達成できなくても、役立たなくても、あなたの価値は変わりません。

 あなたが神を認めて生きる時、他の人との比較で自分の価値を量ったりする傾向は減ってくるはずです。ぜひ、あなたという存在をこの世界の中に置かれた神を信じていただきたいと思います。

「あなたの若き日に、あなたの創造者を覚えよ。」(3)ということばもありますが、その理由は、人が年を取れば取るほど、人間の根本的な問いについての解答を求めて行動を起こすことが面倒くさくなるからです。ぜひ、行動を起こしてくださり、教会においでください。そして、あなたをこの世の生かした神について知っていただきたいと願っています。おいでをお待ちしています。

〔大泉聖書教会牧師 池田尚広〕

(1)新約聖書マタイの福音書7:1

(2)新約聖書ローマ人への手紙12:15

(3)旧約聖書伝道者の書12:1