和解》
 精神科医師で末期医療の専門家の柏木哲夫氏は、その著書の中で、人間には三つの和解が必要だと言っています
(1)。
第一は自分との和解で、第二は周りの人との和解で、第三は神様との和解です。
自分との和解とは、今までいろいろなことがあったけれども、まあまあいい人生であったと思えることであり、そして自分はまあまあ頑張れたと自分で自分を許すことができることです。一般的に不平ばかり言ってきた人は、心の底では自分も許すことがなかなかできないようです(自分との和解に大きな問題を抱える)。
 二番目の周りの人との和解の中で、家族との和解が大きなウエイトを占めています。家族と和解ができないまま、この世を去ることは辛いことです。柏木医師は、長い末期医療の仕事の中で、いろいろな人に会ってきました。
会社人間で家族を省みなかった人生を、家族に心から詫びて世を去っていった人もいれば、自分にも非があったにもかかわらず、自分の息子に謝らせたいと言いつつ、願いが叶わずに亡くなっていった人もいました。周りの人との和解には、その人自身のへりくだった心が必要なようです。

 第三の神との和解ですが、これは人間が永遠を思う存在であることと関連があると考えられます。自分の体が弱ってきて、死が目の前に見えてきたときに、自分が完全に消えてしまうことに耐え難い気持ちを持つことがあります。末期医療に関わってきた柏木医師は、患者のその耐え難い思いを多く見つめてきました。私たちが健康な時には、辛い時や悲しい時に早く消えてしまいたいような思いを持つこともあるかもしれません。しかし、確実にこの世を去ることが迫ってきた時に味わう、自分が消えてしまうという恐れは、その時になってみないとわからないものかもしれません。その恐れの克服のために神との和解が必要です。ただ神との和解といっても、その人がどのような神についてのイメージを持っているかによって結果が違ってきます。

 私の知り合いで、アメリカの老人ホームに行った時から神に対するイメージが変わったという人がいます。彼は、日本人の母とアメリカ人の父を持つハーフで、思春期まで日本で過ごし、その後アメリカの学校に行きました。彼は日本で子どもの時代を経験したので、一般の日本人が考えるような神についてのイメージを持っていました。つまり、もし神がいるなら、神とは自分の背後から自分を見ているような存在で、いつも自分の欠点や、悪いところを記録しているようなものだと思っていたということです。だから神など、信じたいとは思わなかったそうです。

 しかし、ある時にアメリカで老人ホームを訪問した時から神に対するイメージが変わりました。多くの穏やかな表情をしている老人を見て、この人たちは何かを持っていると思ったそうです。それまで、学生の全米レスリング選手権や柔道選手権などで活躍し、肉体的・精神的にも自信もあったわけですが、勝負師が経験する不安や恐れもあったと思います。しかし、老人ホームにいる人たちは、深いところの強さを持っているように思われました。それから、その背後にあるキリスト信仰についての求めが芽生え、神は決して私たちの欠点を数えているような存在ではなく、私たち一人ひとりの存在を愛し、赦しに富む存在であることを知りました。そして、神を信じ、今は神を伝える者となっています。

 神は私たちの存在を愛しておられます。なぜなら、私たちの魂は神によって造られたからです。神との和解は、私たちが誤解や偏見を捨てて、神を求めることから始まります。教会ではあなたのおいでをお待ちしています。
(大泉聖書教会牧師 池田尚広)

(1)柏木哲夫著「生きていく力」より