《頼るもの》

 以前聞いた話ですが、ドイツ人と日本人の対話に次のような話があります。ドイツ人は「わがドイツ軍は神以外に恐れるものはない」と言いました。それに対して日本人は「わが日本軍は神をも恐れない」と言ったということです。この話は、ドイツ軍のパイロットと日本軍のパイロットとの会話だという説もあり、当時のドイツの首相のビスマルクと伊藤博文との会話だという説もあるようで、誰と誰の会話だったのか明確な資料もないようですが、そのような会話がドイツ人と日本人のあいだでなされたことは確かなようです。。
 それぞれの言葉の中に両国の神観が示されています。神とは、軍隊も、権力者も、成功者もひざまずかなければならない存在なのか、それとも弱い者だけが頼ればよい存在なのかという違いが二人のことばの中に現われています。日本の風土において、神に頼るということは特別なことであり、恥ずかしいことと思う人もいます。しかし、世界の中でそのように考える者は少数者です。もし、あなたが神の存在について、ちょっと考えてみたいという思いがあるなら、ぜひ抵抗感を捨てて、教会に来ていただきたいと思います。
 

 神について考えることは、弱い者がすることではありません。あるいは、生きるか死ぬかのギリギリまで生きて、それでもだめだったら考えてみるようなことでもありません。地球上の生き物の中で、神を思い、祈りをささげる存在は人間だけです。ですから、その行為は人間だけが持っている尊い行為です。
 私たち日本人は、何かに頼るということを程度の低いことと捉えてきました。しかし、私たちがそのような考えを持ち続けることができたのは、終身雇用などの社会の枠組みに守られながら主張できた部分もあるのではないでしょうか。あるいは、周りのみんなと同じであるという安心感に守られながら主張できたことではないでしょうか。時代が変わり、価値観は多様化し、社会の枠組みも崩れてきました。しかし、そもそも社会の枠組みは、時代と共に変化するものです。その枠組みに頼った生き方こそ、考え直す時が来たように思います。

 ぜひ、すべての根源である神について考えていただきたいと思います。それは、限界までがんばってみてから、それでもダメな者が考えることではありません。あなたが元気に生きている時に考えるべきことです。このクリスマスシーズン、ちょっと行ってみるという感覚でもけっこうですから、ぜひ教会においでいただきたいと願っています。神が人を愛して救世主であるイエス・キリストをこの世におくってくださったことを祝うのがクリスマスですが、内容は十分わからなくとも、神に心を向ける者を神は喜んでくださいます。また、教会ではあなたのおいでを心から歓迎いたします。

(大泉聖書教会牧師 池田尚広)